それで彼は、幼児にこう言ったのです。「主よ、あなたは今こそ、あなたのしもべを平和の内に去らせて下さいます[1]」。実際、私がキリストを抱くまでは、私が彼を私の両腕で抱きしめるまでは、私は閉じ込められていていました。そして諸々束縛から脱出することができませんでした。このことはしかし、シメオンについてばかりでなく、全人類について考えられねばなりません。もしも人が牢獄、囚われ人たちの家から去って、み国へと向かうなら、その人は、イエスを自分の手で抱き、自分の腕で彼を抱きしめ、彼を自分の懐にすっかり包み込まねばなりません。そうすればその人は、喜び踊りながら、自分が望むところに向かうことができるでしょう。

 あなた方は、シメオンが神のことを抱くに値するようになるためにどれほどの経綸が先行したからお考えください。彼は先ず、「主のメシアを見るまでは死を見ない[2]」という応えを聖霊から受け取りました。



[1] Lc.2,29.

[2] Lc.2,26.

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