ですから私たちは、イエスの肉体の中に何かしら神的なものが、しかも人間を超えるばかりでなく、すべての理性的被造物を超えるものが現れたことを疑わないようにしましょう。

 そして「彼は成長した」と言われています。実に彼は、「みずからへりくだり、僕の姿をとりました[1]」が、みずからへりくだるために使ったその同じ力によって、成長したのです。彼は、弱い者として現れました。なぜなら彼は弱い身体をお取りになったからです。しかしそれゆえに彼は、再び強くなりました。神の子は、「ご自分を空しくしました[2]」が、まさにそれゆえに再び知恵に満たされました[3]。「そして神の恵みが、彼の上にありました[4]」。彼は、青年期に達したとき、彼が公然と教えたとき、神の恵みを得たのではありません。彼は、まだ幼児であったとき、神の恵みを得たのです。そして彼の内にあるすべてのものが驚嘆すべきものであったように、彼の幼年時代も驚嘆すべきものでした。なぜならその幼年時代は、神の知恵に満たされていたからです。



[1] Ph.2,7.

[2] Ph.2,7.

[3] 同様のことは、既に第十八講話1で言われている。

[4] Lc.2,40.

 

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