第二十二講話

「すべての谷が満たされるだろう」と書かれていることから、「神は、それらの石からアブラハムの子らを起こすことができる」と言っている箇所まで[1]

 私たちは、キリストの到来において何が宣べ伝えられているか考察することにしましょう。先ず何よりも、ヨハネについて、「荒れ野で叫ぶ者の声(がする)。あなた方は主のために道を備え、その諸々の小道を真っ直ぐにせよ[2]」と書き記されています。これに続く言葉は、もっぱら主なる救い主に関わっています。実際、「すべての谷は」ヨハネによって「満たされる」のではありません。主なる救い主によって満たされるのです。各自、みずからを顧みて、自分が信仰に至る前はどのような者であったかお考えください。そうすればその人は、自分が卑しい谷であったこと、奈落の底に落ち込む切り立った谷であったことに気づくでしょう。ところが主なるイエスが来て、ご自分の代理である聖霊を使わされたとき、「すべての谷は満たされ」ました。しかしすべての谷は、諸々の善き業と聖霊の諸々の実りに満たされたのです。愛は、あなたの内に谷が存続することを許しません。しかしもしもあなたが、平和と忍耐と慈しみ[3]を持ったなら、あなたは谷であることをやめるばかりか、神の山になり始めるでしょう。



[1] Lc.3,5-8.

[2] Lc.3,4.

[3] 訳者朱門はbonitasを「善性」と訳さず、「慈しみ」と訳している。

 

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