使徒の言葉も、このような意味に合致しています。使徒によると、不信仰の諸々の枝は、この斧によって折られ切り取られますが、その斧は木から根を切り取るのではなく、根から生えた諸々の枝を切り取ります。こうして、以前の木の根に、野生のオリーブの木の諸々の枝が接木されます[1]。「ですから善い実を結ばない木はすべて切り取られ、火の中に投げ入れられます[2]」。実際、そのような木には、火によって焼き尽くされるという終わりがあるのです。

 次に、各自の救いについてヨハネに尋ねた人たちの三つの集団が言及されています。一つは、「洗礼を受けるために出てきた大勢の人々[3]」と聖書が呼んでいる集団、もう一つは、聖書が「徴税人たち[4]」と名づけた集団、三番目は、「兵士たち[5]」という呼称で示されている集団です。「群衆は彼に尋ねて、言っています。私たちは何をすべきでしょうか。ヨハネは彼らに答えて言っています。『二枚の下着を持っている人は、持っていない人に与えなさい。食べ物を持っている人も同じようにしなさい』[6]」とあります。しかしながら、このことが群衆に命じられているのがはたして適切かどうか、私には分かりません。



[1] Cf.Rm.11,17.

[2] Lc.3,9.

[3] Lc.3,7.

[4] Lc.3,12.

[5] Lc.3,14.

[6] Lc.3,11.

 

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