第二十四講話

「私はあなた方に水で洗礼を施す」と書かれていることから、「彼は聖霊と火においてあなた方に洗礼を施すでしょう」と言っている箇所まで[1]

 キリストよりも劣っていたヨハネを、民は受け入れました。なぜなら彼らは、ヨハネこそキリストではないだろうかと思い巡らし、考えていからです。ところが彼らは、ヨハネよりも偉大であった方が来られても、その方を受け入れませんでした。あなたはその理由を知りたいですか。どうかあなたは、次のことをお知りおきください。ヨハネの洗礼は見られましたが、キリストの洗礼は目には見えませんでした。実際ヨハネは次のように言っています。「私はあなた方に水で洗礼を施す。しかし私の後に来られる方は私よりも偉大な方で、あなた方に聖霊と火において洗礼を施すでしょう[2]」。いつイエスは、聖霊において洗礼を施すのでしょうか。また、いつ火において洗礼を授けるのでしょうか。そもそもイエスは、霊と火において同時に洗礼を施すでしょうか。それとも異なる違った時間にでしょうか。「あなた方は、この後しばらくしてから、聖霊において洗礼を施されるであろう[3]」と、イエスは言っています。使徒たちは、イエスが諸々の天に昇られた後で、聖霊において洗礼を施されました[4]。しかし彼らが火において洗礼を施されたのかどうかについては聖書は言及しておりません。



[1] Lc.3,16.

[2] Ac.1,5; 11,6; cf. Hom.Nb.III,1(SC 29, 90-90). 水による洗礼と霊による洗礼の区別は、原始キリスト教会の伝承に属しているといえよう。しかしオリゲネスは、この両者の洗礼が観念上の区別であって、現実的な区別ではないと考えているようである。Cf.Com.Jn.fragm.36 (GCS 4, 511); Com.Rm.V,8 (PG 14, 1038C).

[3] Act.1,5.

[4] オリゲネスにとって聖霊降臨が、聖霊による洗礼なのであろう。

 

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