しかしヨハネが、ヨルダン川の畔で、洗礼を受けに来る人たちを待ち受けながら、他の人たちを「まむしの子孫たちよ」などと言って追い返す一方で、自分の諸々の悪徳と罪を告白する人たちを受け入れたのと同じように、主イエス・キリストも「燃え盛る剣[1]」のそばを流れる火の川の中に立って、この人生を脱した後で楽園に移りたいと願いながら清めを必要とするすべての人に、この流れによる洗礼を施し、望まれた場所へ移してくださるでしょう[2]。これに対してこれに先立つ洗礼のしるしを持たない人には、火の洗いによる洗礼を授けることはないでしょう。先ず人は、「水と霊による[3]」洗礼を受ける必要があります。そうすればその人は、火の川に到達したとき、まさに水と霊による洗いをみずから保持していることを示すことができるでしょう。そのとき人は、キリスト・イエスにおいて、さらに火による洗礼に相応しい者とされるのです[4]。キリスト・イエスに「栄光と力が代々にありますように。アーメン[5]」。



[1] Gn.3,24.

[2] Cf.Hom.Lv.XIV,3 (GCS 6, 482). これは旧約の預言の主要なテーマの一つであろう。Cf.Am.7,4; Is.31,9; 66,15.

[3] Jn.3,5.

[4] Cf.Com.Mt.XV,22-23 (GCS 10, 417).

[5] 1P.4,11.

 

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