第二十六講話

「その方の手にその方の箕がある。そしてその方はご自分の広場をきれいにするだろう」と書かれていることから、「その方は麦をご自分の倉に集めるだろう」と言っている箇所まで[1]

 「神は霊である。神を拝む人は、霊と真理において拝まなければならない[2]」とあります。私たちの神はまた、「焼き尽くす火[3]」でもあります。したがって神は二つの仕方で呼ばれます。すなわち霊であり火です。神は、正しい人たちに対しては霊であり、罪人たちに対しては火なのです。しかしみ使いたちも、霊や火と言われます。すなわち、「ご自分のみ使いたちを霊とし、ご自分の奉仕者たちを燃える火とされた方[4]」と(聖書は)言っています。み使いたちは、聖なる人たちならどんな人たちに対しても霊です。しかし諸々の責め苦に値する人たちに対しては、火と炎を与えるのです。このような意味で私たちの主にして救い主は、霊であるとともに、「地に火を置くために来られました[5]」。「あなたが主に向き返るとき、覆いは取り除かれるでしょう[6]」、そして「主は霊です[7]」と書かれていることに則して、救い主は霊です。



[1] Lc.3,17.

[2] Jn.4,24.

[3] Dt.4,24.

[4] Ps.104; He.1,7.

[5] Lc.12,49.

[6] 2Co.3,16.

[7] Jn.4,24; 2Co.3,17.

 

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