他方、救い主は、天にではなく、「地に日を置くために来られました[1]」。それは、ご自身が証して言っているとおりです。こうあります。「私は、地に火を置くために来た。この火が既に燃えていることを、私はどれほど願っていることか[2]」と。実際、もしもあなたが、霊である「主に向き返るなら」、キリストはあなたに対して霊となるでしょう。そして地に火を置きに来ることはありません。しかしもしもあなたが彼に向き返らず、地とその諸々の実りを持ち続けるなら[3]、キリストはあなたの地に火を置きに来るでしょう。これと似たことが、神についても書かれています。すなわち「私の怒りの火がついた。もちろん天にまでではなく、「下方の低いところにまで」。そして天ではなく、「地とその諸々の芽を焼き尽くすだろう[4]」と。



[1] Lc.12,49.

[2] Lc.12,49.

[3] habes terram et fructus eius:地とその諸々の実りを持つことは、「地の像」(imago terreni)を帯びること、すなわち悪魔の像を帯びることである。Cf.Hom.Lc.XVI,7.

[4] Dt.32,22.

 

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