こうして洗礼を受けた救い主は、「鳩の姿をして」諸々の天から彼の上に降ってきた「聖霊に満たされ」、「霊に導かれました」。なぜなら「神の霊に導かれる人たちは皆、神の子だ[1]」からです。ところでイエスは、すべての人に優って、厳密な意味で神の子でした。したがって彼も、霊に導かれていなければなりません。実際、次のように書かれています。「ところで彼は、霊によって四十日間、荒れ野の中へ導かれ、悪魔によって試みられた」。

 四十日の間、イエスは試みられましたが、どのような試みであったのか、私たちは知りません。おそらく、それらの試みは、文字に託すには多過ぎたので、言外に付されたのでしょう。イエスが教えたことと行ったこととが書かれたとすれば、「世界はそのすべての書を収めることができない[2]」のと同じように、四十日にわたってイエスが悪魔から受けた数々の誘惑を、世界は担うことができないでしょう――もしも聖書がそれらを(余すところなく)教えたとすれば。そのように言わなければならないとすれば、次のことを知るだけで私たちには十分でしょう。すなわち「彼は四十日間、荒れ野にいて、悪魔によって試みられた。そしてその間、彼は何も食べなかった[3]」と。なぜなら彼は、粘り強く断食を続けて、肉の感覚[4]を死滅させたからです。



[1] Rm.8,14.

[2] Jn.21,25.

[3] Lc.4,2.

[4] sensus carnis.

 

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