しかしあなたは、このことを父なる神についてだけ理解しないでください。主なる救い主や聖霊についても、またより劣ったものを挙げるなら、ケルビムやセラフィムについても、あなたはそのことを理解してください。実際、今このように話をしている私たちにも、天使が立ち会っているかもしれません。しかし私たちは、相応しくないので、その天使を見ることができないのです。確かに私たちの体や魂の目は観想に向かいます。しかしそれでも、天使が自発的に現れ、みずからが見られることを許すのでなければ、(天使を)見ようと望んでいる人は、(彼を)見ることができないでしょう。ですから、あれこれの人に「神が現れた」とか、今のように「主のみ使いが彼に現れ、香壇の右手に立った」と書かれているどのような箇所でも、あなたは私が言った意味でご理解ください。神であれ天使であれ、それが望む望まないに応じて、アブラハムやザカリアに見られたり見られなかったりするのです。

 

 

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