第三十三講話

「確かにあなた方は、このたとえ話を私に言うだろう」云々と書かれていることから、「シリアのナアマンの他に、清められた者は誰もいなかった」と言っている個所まで[1]

 ルカの報告に関する限り、イエスは、カファルナウムにまだ滞在しておらず、そこで何らかのしるしを行ったとも書き記されておりません。なぜなら彼はそこにいなかったからです[2]。さらにイエスは、カファルナウムに来る前に、ご自分の故郷、すなわちナザレにいたと記されています。そして彼は、その町の人々に次のように語っています。「確かにあなた方は、このたとえ話を私に言うだろう。『医者よ、あなたはあなた自身を治しなさい』と。そして、『我々が聞いたカファルナウムでのすべての出来事を、あなたはここ、あなたの故郷でも行いなさい』と言うだろう[3]」。これらのことから私は、目下の言葉――すなわち、ユダヤ人たちの予型としてのナザレが異邦人たちの予型であるカファルナウムに先行していたこと――の中には、神秘の何がしかが隠れていると思っています。イエスは、このようにご自身も、預言者たちも、使徒たちも、各自の故郷で栄誉を得ないことを知っていたので、そこ(ナザレ)で宣教することを望まず、異邦人たちのところで宣教したのです。それは、ご自分の故郷の人たちに、「あなた方は、このたとえ話を私に言うだろう。『医者よ、あなたはあなた自身を治しなさい』」と言われないようにするためです。



[1][1] Lc.4,23-27.

[2] オリゲネスは、ルカ伝に見出されるこの不自然さを霊的解釈の一契機とする。もちろんこの記述の不自然さは、ルカ伝の編集方法によって説明されよう。ルカは、カファルナウムにおける出来事と、その後に行われたナザレの出来事をそれぞれひとまとめにし、その時間的な前後関係を逆転して、ナザレの出来事を先に書いたのである。

[3] Lc.4,23.

 

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