さらに、ロバに乗ることができるのは、人間を除いて他に何かあるでしょうか[1]。私がこれから述べようとしていることが理解してもらうために、しばらくの間、例を取り上げたいと思います。『イザヤ書』に次のように書き記されています。「艱難と苦悩における幻視」云々から、「蛇の諸々の富は彼らを益さないだろう」と言っている箇所まで[2]。私たちはそれぞれ、各自が、蛇どものどれほどの資材と、獣どものどれほどの富をかつて担っていたかを考察してみるべきですし、どうして理性的な人間[3]が私たちのロバの上に決して乗らないのか、どうしてモーセやイザヤやエレミアや他のすべての預言者たちの言葉が私たちのロバの上に乗らないのか考察してみるべきでしょう。そうすれば、主イエスが来られて、ご自分の弟子たちに、行って、もともとつながれていたロバの子を自由に歩けるように解きなさいと命じたとき、神のロゴス[4]が私たちの上に乗ることが分かるでしょう。こうして解かれたロバの子は、イエスの許に連れてこられます。イエスは、それを解くために弟子たちを派遣して言っています。「もし誰かがあなた方に、『なぜあなた方は(ロバの)子を解くのですか』と尋ねたら、『主がそれを必要としているからです』と、その人に答えなさい[5]」と。



[1] オリゲネスによると、ロバは旧約聖書であり、ロバの子は新約聖書である。Cf.Com.Jn.X,29 (GCS 4, 201); HomGn.XVII (PG 12, 259c-d).

[2] Is.30,6.

[3] rationabilis homo:「ロゴス(み言葉)に参与する人間」、「ロゴスが宿る人間」という意味であろう。

[4] Sermo Dei atque Ratio:ギリシア語の「ロゴス」(み言葉)のラテン語訳である。

[5] Lc.19,31.

 

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