あなたは、そのすべての実りが賞賛の内にある聖人の例を知りたいですか。では、十二人の男子をもうけたヤコブをお考えください。彼の息子たちは皆、神の民の太祖、神の嗣業地の君となりました[1]。父ヤコブは、彼らの内に喜びました。それはちょうど今、ヨハネの誕生からすべての人に、喜びが告げられるのと同じように。また、他の人たちの善益のために、子供たちの諸々の業に降り[2]、この奉仕に献身しようと望む人は、その子が自分にとって代に出て偉大になり、その誕生が自分にとって喜びとなるように神に願うものです。

 ですからヨハネについて次のように書かれています。「彼は、主のみ前に偉大になるでしょう[3]」と。「彼は主のみ前に偉大になるでしょう」と言われている言葉は、神の目に明らかなヨハネの魂の偉大さを表しています。しかし厳密に言うと、魂の徳には、何かしらより劣ったものが見出されます。



[1] Cf.Dt.32,9.

[2] ad liberorum opera descenderit; 生殖行為というよりも、子供の出産と育児に従事することを意味すると思われる。

[3] Lc.1,15.

 

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