第六講話

「さてエリサベツは身ごもって、身を隠した」と書かれていることから、「彼は、偉大な者となる」と言っている箇所まで[1]

 エリサベツが身ごもったとき、「彼女は五ヶ月間、身を隠し、次のように言いました。『主は、私のためにこのようにしてくださった。主が(私を)顧みて、人々の間で私の恥辱を取り除いてくださった』と[2]」。私は、尋ねたいと思います。なぜ彼女は、自分が妊娠していると気づくと、公の場を避けたのでしょうか。私の思い間違いでなければ、それはこうです。すなわち、婚姻で結ばれた人々でさえ、必ずしも常に生殖の交わりを結ぶわけではなく、やがて婚姻の業から離れる時が来るからです。実際、夫が高齢となり、妻も年老いたとすれば、情欲に身を任せ、交わりに耽ることは大いに恥ずべきことでしょう。それらは、身体の衰えや高齢によっても、また神のご意思によっても受け入れられないように見えます[3]。しかしこのエリサベツは、天使の言葉と神の経綸に従って再び夫と交わったので、自分が非常に年老いた女であるにもかかわらず、若者たちの業に戻ったことを恥じたのです。



[1] Lc.1,24-33.

[2] Lc.1,25.

[3] オリゲネスは、夫婦の性的交わりは、生殖を目的とするものであると考えているようである。彼は『創世記講話』V,4 (SC 7, 139-141)で、妊婦の性的交わりを不毛であるとして禁じている。

 

次へ