実際、わずか一瞬の間に幼児が(喜び)おどり、いわば喜びはしゃぎ、またエリサベツが聖霊に満たされたというのに、主の母の傍らにいたヨハネもエリサベツも、三か月の間、主が現前していたとき進歩しなかったというのは、まったく相応しいことではありません。ヨハネは、この三か月の間、驚くべき仕方で産まれて驚くべき仕方で育てられるために、鍛えられていたのであり、いわば闘技場で油を塗られていたのです。実に彼が常ならぬ仕方で育てられたため、(聖書には)、彼がどのようにして母親の乳房から乳を与えられたか、どのようにして母親の懐に抱かれていたかが述べられていないのです。その代わりすぐに次の言葉が続きます。「そして彼はイスラエルの民の前に現れる日まで、荒れ野にいた[1]」と。



[1] Lc.1,80.

 

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