断片5(2講話23)

(a)  そうです、「神のみ前に正しい[1]」ことは、完全な賞賛に値します。なぜなら神ただお一人だけが、人々の諸々の心まで知っているからです[2]

(b) 実際、人々は、相応しく賞賛することができません。人々は、外に現れた事柄しか見ることができず、諸々の隠された事柄を知りません。人々の許では、迷った見解が迷わない見解よりも、しばしば成功します。諸々の生活を評価する仕方は、人々と神とではそれぞれ異なります。人々は外に現れた諸々の事柄から評価しますが、神は魂にある目に見えない諸々の思いから評価します。

(c)  神だけが、賞賛されるべき人を相応しく賞賛することができ、非難されるべき人の裁きを相応しく行うことができます。なぜなら神は、「隠れた事柄をご覧になり[3]」、諸々の行いばかりでなく、諸々の思いをご覧になるからです。実に神には、諸々の事柄の本性は露であり、目論見は看取されるのです。



[1] Lc.1,6.

[2] Cf.1R.8,39; Ambroise, Com.Lc.1,18 (SC45, 55-56).

[3] Mt.6,4.

 

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