禅宗之事

 

24 妙秀。八宗の事は聞きまいらせぬ。是は何(いず)れも皆同じ事にて侍り。禅宗と申すは、教外別伝とて、よ()にかわりたるように承るが、如何様なる事にて侍ふぞ。

 幽貞。されば、禅で仰せのように教外別伝とは申せども、是又、別の事にて侍らず。唯同じ仏法にて侍り。但し、教外別伝と申すは、釈迦、霊鷲山(りょうじゅせん)にて説法せられしに、仏(=釈迦)、一枝の花を(ねん=ひへる)じて大衆に見せしむるに、衆皆黙然たりと申して、其の心を悟り得ざりしかば、皆、物言う事もなかりしに、迦葉(かしょう)一人が破顔微笑すと云いて、にっこと笑いたれば、其の時、釈迦「我に正法眼蔵湿柈(=涅槃)妙心有り。广河(=魔訶)釈葉に付属す(=授けよう)」といわれしにより巳来(このかた)、教えの外に別に伝えると云う心より、此の禅法は事起こる。しかれば、其の付属す(=授けよう)といわれし正法眼蔵とは、いかなる事ぞと尋ねるに、是又、別の事もなし。一心法をよくみしれば(=一心をよく見て知る)と云う事也。さて、其の心は有りと伝えたるか、無と伝えたるかと申せば、(心は)無と侍るものにて侍り。此の故に、其の『伝法の偈()』にも「法の本法は無法也。無法の法も亦法也。今無法を付する時、法々(=様々な法)は何ぞ曾(かつ)て法ならん」と云えり。此の心は、先ず、法と云うは何を指したるぞと云えば、法とは心の異名にて侍り。此の故に、鳴猛(めみょう=馬鳴:中インドの仏教詩人)と申せし西天(=天竺)の祖師も、「(ここで)謂う所の法と者()、衆生の心を謂う也」と云い置かれたり。しかれば、「法の本法は無法也」とは、本心と云う物は無心、無念なるものぞと云う儀也。さて、「無法の法も亦(また)法也」とは、其の心良(やや)多かるべし。就中(なかんずく)、先ず、一、二を挙げて申すべし。一には、右、捻(=拈)じてみたる花も(=捻り取った花も)、木をわりてみれば、緑も紅もなけれども、まことは、なき花がかりにさきたるごとく、元来は(人は)無心なれども、時の境界につれて、にくし(憎し)、きたなし(汚し)の心もおこれば、ここをさして、「無法の法亦(また)法也」と云えり。二には、なき物が一つあるぞといえる事を、「無法の法亦法也」と云えり。「今、無法を付する(=伝える)時、法々(=様々な法)を何ぞ曾(かつ)て法ならん」とは、なき心を伝える上は、伝えるが伝えるにもあらず(=伝えることは、実体を伝えることではない)。畢竟(=結局)、有る程の事は、皆、空無ぞとの心也。西天の廿八祖(天竺二十八祖:釈迦から菩提達磨まで)も是より起こり、東土の六祖(中国の六祖:菩提達磨から慧能まで)も、ここより始まりて侍るにや。初祖菩堪(=提)達广(=磨)が、二祖恵(=慧)可に心印(=宗門相続の根本義)を伝えられしときも、「心を将来たれ(もちきたれ)。汝が為[]に安心せり」と有りしに、恵(=慧)可は、「心を覔(もと)むるに、了(つい)に得るべからず」といえるときにこそ、「汝が為に安心せり」とは、印可決定(いんかけつじょう=弟子の悟りを承認した)せられて侍り。又、五祖弘忍禅師も、「身は是菩提樹、心は明鏡台の如し」と、ぬるぬると(=無気力に、不精に、生半可に)いわれたる神秀には衣鉢を伝えず。「本来無一物、何処に塵埃(じんあい)有らん」と、切りてはなしたる(=言い放った)盧行者(ろあんじゃ=六祖慧能)に衣鉢を伝えて、六祖とはなされたり。さればとよ、惣じて禅は、臨済、雲門、曹洞、偽(=潙)(いぎょう)、法眼(ほうげん)、是に楊岐(ようぎ)、黄龍(おうりゅう)を加えて、五家七宗と申す也。五家七宗ともに、皆、心は空無ぞと有る事を識得するを本とせり。さてさて、仏法はにがにがしき(=奇妙に思われるような)教えにて侍る物哉(かな)。何れも何れも、皆、此の分に(=このように)、後生はなきぞとのみ見破ては、何かよく侍らん(何のよいことがあるだろうか)。後の世の事はさておきぬ。現在の作法も、上に恐るべきあるじをしらざれば、道の道たる事も侍らず。人の心と申すは、私の欲にひかれて邪路に入らんとのみするに、無主無我にして、悪を成しても罰をあたえん主もなく、全を修しても賞のの行えるべき処なし。虚空より生じて虚空と成ると、自由自在に(=勝手気儘に)教えたる事は僻事(ひがごと=間違い)にてあらずや。貴理師端の眼よりは、か様の教えをば邪法とのみ見る也。

 

次へ