浄土宗之事 付一向宗

 

28 妙秀。今までは、わらわが宗旨をば、何ともあらわしまいらせざりしが、此の上にては、いあかでかつつみ申す可けん。わらわは、浄土宗にて念仏三昧の身にて侍り。されば、よの(余の)宗旨は、今まで語り玉うように、悟りの、観法の、など申せども、こなたには唯、一向専修とて、ひたすらに仏名を唱え、西方極楽へ往生せんと思う外には、曾て別の事なし。しかれば、よの宗には地[]、極楽もなしとも、のたまえかし。浄土の一宗にかぎりては、さようの事にては侍らず。既[]阿弥陀如来は五劫思惟と申して、五の巌をなでつくす間の御辛労を以って、衆生を助け玉わん為の方便を求め玉い、四十八の願を起こし、念仏を申さん衆生をば、十声一声の内に来迎有りて、西方極楽へ迎え取り玉わんとの御誓いなるが故に、「念仏衆生、摂取不捨」とのたまえば、万の仏の願にもすぐれたれば、超世の悲願とは是を申す也。此の故に、浄土宗には、後生なしとは申さぬ也。

幽貞。其の事にて侍り。度々申しつるごとく、何れも(=何れの宗も)、先ず、あるようには申せども、別して浄土宗には、今御身[]宣うように、地獄も天堂もあるように申す也。浄土の宗旨をも、形の如くききはんべりし事なれば、是又、大方語りまいらすべし。浄土宗も色々にかわれども、まづ(まず)、其の大む子(=大宗旨)は、法然の下より鎮西、西山と二流に分かれたり。鎮西流は当得往生と立て(=主張し)、命終の後、まさに(=当に)往生すべしといえば、西山流義には、即便往生とて、名号を唱ゆる端的が、即、往生也と立てたり。故をいかにと云えば、『観経』(=観無量寿経)の中に、則(=即)便と云う詞が三処に侍り。それは、「即便に釼を捨てる」とあると、「爾(その)時、世尊、即便に微笑」とあると、「三種の心を発(おこ)さば、即便に往生す」とあるにて侍り。然れば、前の二の即便とあるところ、いずれも其の端的をさしたる事なれば、即便往生と云うも、その端的が往生と立てたり。さて、此の往生とは何と云う事ぞ、と尋れば、浄土の祖師(日本浄土宗第八祖・増上寺開山西誉聖聡)の語(=言葉)に、「往生と者(=は)、諸宗の悟道得法の異名也」(『一枚起請見聞』)とみえたり。此の諸宗の悟道得法と

云うは何ぞなれば、真如平等とて、終には虚空法界(=真如)にして、神もなく、仏もなく、地獄もなく、極楽もなしと悟るを、悟道得法とは申す也。されば、かようの悟り、観法を修する宗をば、念仏宗よりは、聖道門(=自力門で浄土門の対)と云う。是は末代艻(=劣)機、鈍根の衆生とて、末の世の今は、来も心もおとりたる故に、其の悟りに入り難し。しかるに、浄土門と云える我が宗は、末の世の愚かなるを洩らさじが為にの善行(=巧)方便(=衆生の機根にかなった種々の教化方法)なれば、唯一筋に南無阿弥陀仏と唱えさせ、一息絶断とて、息を引っ切る(=息を引き取る)処を往生と云えり。是が諸宗の悟道得法と同じ事とは、何しに云うぞなれば(=どうしてそうなのかといえば)、諸宗の兼而(=かねて)悟る此の無に、念仏の行者も死ぬる時節なれば也と云う心得にて、いいたる者也。これ御覧ぜよ。浄土宗も後生はなき物にすると云う事の、はや、そろそろと見侍る事を。其の上、浄土宗の法門の所詮(=究極)を聞き玉わば、愈(=いよいよ)是も、後生は無しと立てたる事を弁え給えし。其れと申すは、浄土宗には実体(=実際の本体)、化用(=教化の働き)、教門(=教理)、実義(=実際のこと)とて、四義の法門を立てたり。浄土の法門も、事広く侍れども、畢竟しては、此の四義に洩れたる事もなし。されば、諸宗何れも、極めては、仏も衆生も地獄も極楽もなしと云う処を、宗々に名をかえて色々に申す斗(=ばかり)也。禅には本分と立て、天台には真如と云い、法相には円成実性とも名付け、三論には空と云う。是何もなき処(=無いということ)の名也。しかれば、浄土宗の四義の第一なる実体と云うも、是即ちなき物のの唐名(=漢語表現)にて侍り。又、是を一法句とも申す也。さて、此の無を根本として、此の無を根本として、それより阿弥陀を始めとし、其の願力不思偽(=議)、五劫思惟の功にむくえる西方極楽など云う事を作り立てたるを、第二の化用とは申す也。又、此の西方極楽には、三輩九品など云う事を立て、廿九句の荘厳などと云いて、なき極楽のたての(=見せかけの)雑説を有りように申すを、第三の教門とは申す也。而(しこうして)、死すれば、九品はさておきぬ、一品のしなも、其の極楽も、なき物になる処を実儀とは云う也。此れを曇鸞大師(=唐代浄土教大成者の一人)は、「本は即ち三三(=三×)之品なれども、今は一二之殊も無し。亦(また)、淄澠(しじょう)の一味なるが如し。焉んぞ儀思す可けんや」と云われたり。此の心は、いきて有し時は、九品の浄土ありと思うとも、死しては、一もなく二もなき真如虚空と成りて、我さえもなくなれば、思惟、工夫にも及ばぬ処也と云える儀也。又、日本の中興開山なる浄土の祖師了誉も、「浄土の実儀は輩品無く、同一無差にして、薩般若なり」と、略頌(りゃくじゅ=皮肉嘲笑を込めた詩句)の内に云えるも、真の浄土と云うは、三はい(=輩)も九品もなし。ただ一枚の虚空ぞと云えり。薩般(=婆)若とは、此処には妙知(=智)と云う也。妙知とは、即ち、無智虚空の重(=段階)也。是を見給え。浄土の極めも、後生と云う事はなき物にしたり。されば、四義の根本実体と云うが、無の事なれば、それより出たる化用、是又、なき事を作り立てたる物也。先ず、御大将阿弥陀と申すから[]、なき事にて侍り。教相(=教学)には、「(阿弥陀如来は)月転輪聖王、殊勝妙顔夫人の子也」といえども、実(まこと)には有りたる者にあらず。例無き事を宣う釈迦殿が、『小阿弥陀経』にみえたるごとく、舎利弗(しゃりほつ=仏十大弟子の一人。智慧第一と称せられる)[]対して、「是より西方十万億の仏土を過ぎて世界あり。名付けて極楽と云う(=娑婆世界と西方極楽世界・浄土の間に十万億個の仏土があるという)。其の土に仏あり。阿弥陀と号す。今現にましまして方を説き給う」と云えるからが、阿弥陀と云う仏有りと、人皆申す也。是は、うそのかわ(=嘘の皮)にて侍るぞ。其の故は、先ず、西方十万億土と云うからが、なき事にて侍るぞ。惣じて、世界は終(はて)しもなく、其の形は、一面にひらき(=平らな)物にあらず。丸き物なれば、西東と云う事は、北南には違い、ここぞと定めたる方なし。ただ月日の出る方を東といい、入る方を西とすれば、東と思う処の西になる事もあり。西と云う方の東となる事もあり。其の故は、たとえば、先ず此の京にては、大津を東といい、愛宕を西といえども、大津を行くとき、鏡山の方へ行けば、京にて東といいし大津は、又、西になれり。そのさきざきも、これに同じ。また、京にて西といいし愛宕も、丹波のたき(=多紀)の方へ行けば東となる。そのさきざきも、次第に此の分にして、(世界は)丸き物なれば、西方と定めて云うべき処なし。世界の丸き証拠には、西の海に傾き入るとみえし月、日が、又、東へめぐり出れば、世界の形、終(はて)しもなし。一面にひらき物にはあらずと云う事明らか也。其の上、貴理師端の国の人々、黒船と云う物にて、我が国の湊を出だし、毎日、日に向い東へ東へとばかり行きて、又、元の湊へめぐり合うは、(世界が)丸きいわれにてあらずや。又、日を帯びて(=追って)西へ西へと乗り行きても、同じ事は明らか也。さて、此の一運(=一回り)の乗り(=程:道のり・里程)は、此の前(=以前に)、三界の沙汰の処に申しつるごとく、七千七百七十二里余としるせり。しかるに、西方十万億土とは何(=いづ)くを指して云いたる事ぞ。世界にひらばり(=平張)を打ちても(=幕を張って世界を建て増ししても)、是までは有るべからず。片腹いたき事ども也。今のごとく世界を乗りまわしても、終に西方極楽と云う処をば見ずと、キリシタンの人々は、をかしき事に思えり。既に西方極楽世界なくば、阿弥陀もなき物なる事明らか也。夫れ(=それ)に依って、唯心の弥陀、己心の浄土と申して、一心を弥陀とも浄土とも云うが本の事(=本当の事)也。『観経』(観無量寿経)に、尺迦、韋提希(いだいけ)に告げて、「汝[]、今知るや否や。阿弥陀仏の此を去ること、遠からざるを」と云えるも、此の事にて侍り。惣じて、此の釈迦殿と云う仁(=お方)が、人もやとわぬとわず語り(=人から問われもしないことを語り)の偽りばかりを云いて、阿弥陀にもかぎらず、毘婆尸仏(びばしぶつ)の、やれ罽那尸乗(=棄)(けいなしきぶつ)の、などと云いて、過去の七仏ありしが、其の内の燃焼(=燈)仏より授記せられて、今、此の仏果を得たりなんどと云いて、あいよみ(=相読み:証人)もなき、いいたきままなる偽りまでを云い直(=置)きたれば、阿弥陀にかぎる虚空にあらず。又、『涅槃経』には、「三十一十一万九千五百の同じ号。因って阿弥陀仏と名づく」と云うも、みな是無き事也。其の上、化用の内にて云いなる五劫思惟の沙汰、是又、天下にもはばかる大の虚言にて侍り。先ず、思いても見たまえ。四十里四方のあおめ(=青目)の岩を、三年に一度、天人の天の羽衣にてなでなで撫で尺(=尽)したるを、一劫の間とす。されば、五つの巌を撫で尺(=尽)す間、是を五劫と云う。さて、是は有るべき事にて侍るや。方四十里の岩をは、おき給え。ただ手の内に握る鳥のたまご程なる石を、羽衣をもおき、いかにもあらき四国だふ(=太布:荒布)にて、毎日毎夜、鏡とぎの鏡とぐように、すりみがかんに、幾万幾年を経て千端万端のたふ(=太布)は破れうするとも、其の石はうすらぐ事もあらじ。況や、四方四十里の岩ならば、大小の金槌、石破げんのう(=石破玄翁)とやらん云う物を以って、打つとも砕くとも、一つの岩もつき(=尽き)侍らじ。しかるに、五つの岩を、羽衣にて三年に一度撫で尺(=尽)す間、阿弥陀の思惟工夫し、難行苦行したりなどと云うは、偽りとも何共いうべきようもなきうそにて侍り。されば、さきに申しつるごとく、西方極楽もなく、又、此の五劫思惟もなき事ならば、弥陀はありとも何にかせん。其の上、阿弥陀もなき物にて侍るぞ。『観経』(観無量寿経)に、此の阿弥陀の身[](=かさ)を挙げて、「仏心の高さは、六十万億那由化(=他)恒河沙由旬(なゆたごうがしゃゆじゅん)なり。眉間の白毫は右に旋(=めぐ)り、婉転(えんてん)す。五須弥山の如し。仏眼四大海水の如く、青白分明なり」と見えたり。あらおそろしの身のたけ、眼の大きさや。是を以っても心得玉え。阿弥陀と云う者は、なき事にて侍るぞ。その故は、かように大きに云うは(=大きく言うのは)、虚空法界を指して阿弥陀と云いいたる物也。そもや、色身を具足したる程の者に、かおうに大なる事が侍るや。『観経』に、「諸仏如来は、是法界身也」とあるも、此の事也。浄土宗には此の文を色々私なる注を付けられ侍らえども、本の心は虚空法界に満ち塞がりたる風をっしていえる事也。されば、真言の阿字観の処にも申したるごとく、阿弥陀と云うも、此の風大の事、阿字観にてしらるる事也。身の長(=たけ)を、おそろしくいいたるも、此の下心(=底意)にて侍り。畢竟、此の念仏の行者は、南無阿弥陀仏の息につれて、極楽世界に往生すると云うも、虚空法界と帰して、無になると心得ての事也。双(=又)、『観経』に、「皆、自然虚空無之身、無極之体を受く」と云うも、同じく又、「空の無極に達し、泥洹(=ないおん:安らぎ)に開入せしむ」とあるも、皆是、虚空法界の空無に帰すると云る事也。湿柈(=涅槃)と云う心は、 湿柈とは不生不滅と云る儀にて、虚空仏性はなき物なれば、元来、生滅すべき者もなしとの心得なり。『大原問答』(伝法然上人)に、「三世の諸仏の化導にして、心(=必)ず、聖道浄土の二門を儲く。然るに、二種の勝法は共に無相無念の一理に入ら令めん為也」とあるも、此の心也。されば、浄土宗の隣里(=となり)に、人もなげに鐘をたたき、頭をふり、軽惚(=きょうこつ:軽率な)なる大声を上げて、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、あまりにしこる(=あまりに熱中する)時には、よそより聞きてては、だた大もち(=餅)などをひく者の、ゆいや声(=えいや声)かと思う程に、念仏を申さするも、無念無想になさしめん為なりと見たり。「唱ゆれば 仏も我もなかりけり 南無阿弥陀仏の声ばかりして」(時宗開祖一遍上人の道歌)と読(=詠)める哥(=歌)も、此の時の事にて侍り。心と云う意の字は、音の心とかけり。されば、頻(=しき)りにうつつ正念をぬかし(=無我夢中で)、南無阿弥陀仏、神阿弥陀仏とさけぶときは、仏と思う心も、衆生と思う心もなくなれば、南無阿弥陀仏の音斗(=声ばかり)してとは云えり。此の声は、即ち、風也。此の風は、即ち、阿弥陀にて侍り。しかるときは、上件の(=上述の)理りどもを以って、阿弥陀と云うが、虚空法界、なき物の名也、と云う事明か也。死すれば、衆生もこれに帰して、無となるぞと云うが下心(=底意)なれば、浄土宗にも後生はなきと心得たる物にて侍り。一向宗の開山親鸞と云いし上人は、此の処をよく悟りたる人なりし故に、身を安くせんと(=安楽にしようと)、そのかみ(=その昔)、月の輪の禅定(関白九条藤原兼実)の姫公を取(=めと)られしかば、此の事が天下にかくれなく、其の惶(=おそれ)に依って、しばしば(=暫く)知音(=恩)院の下なる塚穴に隠れ居られしかども、後には世も広くなりたるにゃ、今に其の門葉(=門派)は、世上に広まり、挙世(=世を挙げて)<但し、田夫野人尼入道の類が>道を仰ぎ侍り。後生はなき物とみたる上からは、是程大出来なる宗旨は候まじ。持戒も破戒も畢竟、空なれば、隔てなし。南無阿弥陀仏と云うも、此の心なるべし。千秋万歳、あら心安すの教えや。しかれば、仏法と申すは、八宗、九宗、十二宗共に、今まで申したるごとく、皆後生をばなき物にして置く也。袈裟衣をき、仏事、作善と云うも、唯不断の世諦(=いつもの世間的な真理)、世間のみかけ也。後生の助かり、後生の沙汰と申すは、貴理師端の外にはなしと、心得給うべし。

 

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