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19 次に、「彼は、彼らの不信仰のゆえに、そこでは多くの諸々の力(ある業)を行わなかった[1]」という言葉を考察しなければならない。それらの言葉を通して我々は、次のことを教えられる:すなわち、諸々の力は、信じる人たちの中で生じた。なぜなら「持っているすべての人には、与えられ、あふれるばかりにあたえられるだろう[2]」とあるからである。それに対し、不振後者たちの中では、諸々の力は働かなかったばかりか、マルコが書き記したように、働くこともできなかった。実際、あなたは、「彼は、そこでは、いかなる力(ある業)も行うことができなかった[3]」という言葉に注目すべきである。実際(マルコは)、「彼は望まなかった」とは言わず、「彼はできなかった」と言っている。なぜなら、働く力には、その力が働きかける人の信仰からの協働が及ぶが、その協働は、不信仰によって働くことを妨げられるからである[4]。したがってあなたは、次のことも見るべきである:すなわち、「なぜ私たちは、それを追い出すことができなかったのですか」と言った者たちに、彼が「あなた方の浅い信仰のせいだ[5]」と言った。また、沈み始めたペトロに向かって「薄い信仰の者よ、あなたは何を疑ったのか[6]」という言葉が言われた。それに対し、出血している女性が、癒しについて求めなかったのに、「彼の衣の裾に触れれば、癒されるだろう[7]」と考えただけで、「たちどころに癒された[8]」。そして救い主は、「誰が私に触ったのか。私は、力が私から出ていくのを覚えた[9]」と言って、その癒しの仕方を表明している。おそらく、諸々の物体において、或る諸々の物体には、他の諸々の物体に対する自然本性的な引力があるのと同様に――たとえば、マグネシアの石に鉄に対する引力があり、原油と言われる物に火に対する引力があるように――、そのような信仰にも、神的な力に対する引力があるだろう。そのようなわけで、「もしもあなた方が、からし種ほどの信仰を持っているなら、あなた方が、その山に向かって、ここからそこに移りなさいと言えば、その山は移るだろう[10]」とも言われている。マタイとマルコは、神的な力――不信仰の内にも力あるが、恩恵を受ける人たちの信仰の内で持つほどの大きな力を持つわけではない神的な力――の卓越性を明確に示そうと望んで次のように言ったと私には思われる:すなわち(マタイは)、「彼は、彼らの不信仰のゆえに諸々の力(ある業)を行わなかった」とは言わず、「彼はそこでは、多くの諸々の力(ある業)を行わなかった[11]」と言った。マルコも、「彼は、そこでは、力(ある業)をまったく行うことができなかった」と言って、そこに留まらず、「彼は、僅かな病弱な者たちに諸々の手を置いて癒した場合を除いて[12]」という言葉を(それに)付け加えている。なぜなら彼の内にある力は、そのように不信仰にも打ち勝つからである。

 そもそも私には次のように思われる:すなわち、諸々の物体的な物について、諸々の実を収穫するためには、(土壌に)含まれた物[13]が――いわんや、(それを)含む物[14]も――、それを望み通りに造り、秩序づけている方が望んでいる通りの特質において、そのことのために協働しなければ、耕作だけでは十分ではない。(種を)含む物も、耕作がなければ(諸々の実を収穫するのに)十分でない。まして摂理する方も、耕作がなければ、大地から昇る諸々の物を大地から昇らせることはできないだろう。なぜならその方は、「大地は草原の植物を芽生えさせよ。種と類似に従って種を蒔け[15]」という言葉の内に、ただ一度だけそのこをと行ったからである。同様に、諸々の力の諸々の働きも[16]、癒される者たちの信仰がなければ、癒しのために十分な業を示さないし、信仰も――それがどのようなものであれ――神的な力がなければ(そのためには)十分ではない。あなたなら、知恵について書かれていることを、信仰と個々の徳に適応するだろう――それを次のような言葉に直すことによって:「たとえ人間たちの子らの内で、或る人が信仰において完全であるとしても、あなたに由来する力がなければ、その人は無に等しいと見なされるでしょう[17]」。あるいは、「人間たちの子らの内で、分別において賢明であるとしても、あなたに由来する分別がなければ無に等しいと見なされるでしょう」。あるいは、「正義と他の諸々の徳において完全であるとしても、あなたに由来する正義と、あなたに由来するその他の諸々の徳がなければ、無に等しいと見なされるでしょう」と。それゆえ、「知恵ある者は、自分の知恵において誇ってはならない。力ある者は、自分の力において誇ってはならない[18]」。なぜなら誇りに値するものは、我々のものではなく、「神からの賜物[19]」だからである[20]。知恵は彼からのものであり、力は彼からのものであり、その他の諸々(の徳)も同様である。



[1] Mt.13,58.

[2] Mt.25,29.

[3] Mc.6,5.

[4] 省略

[5] Mt.17,19-20.

[6] Mt.14,31.

[7] Cf.Mc.5,28; 6,56.

[8] Lc.8,47; Mt.9,22.

[9] Lc.8,46; Mc.5,30.

[10] Mt.17,20-21.

[11] Mt.13,58.

[12] Mc.6,5.

[13] すなわち「種」。

[14] すなわち「土壌」。

[15] Cf.Gn.1,11.

[16] Cf.1Co.12,10-11)

[17] Cf.Sg.9,6:「たとえ、人々の中に完全な者がいたとしても、あなたの与えられる知恵を持たなければ、その人には何の価値も認められません」(新共同訳)

[18] Jr.9,22.

[19] Ep.2,8.

[20] Cf.De Princ.III, 1, 19 etc.

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