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20 「その時期、領主ヘロデは、イエスの話を聞き、自分の家来たちに『彼は、洗礼者ヨハネだ』と言った[1]」。

マルコもで同様であり[2]、ルカでも同様である[3]。ユダヤ人たちは、諸問題について、様々な意見を持っていた。間違った意見としては、たとえば、サドカイ派の人たちは、死者たちの復活について、彼らは復活させられないと考え、み使いたちについては、彼らは実在しないと考え[4]、み使いたちについて記載されている諸々の事柄を、歴史的な真実をまったく持たないとしてもっぱら比喩的に解釈している。他方、真実な意見としては、たとえば、ファリサイ派の人たちは、死者たちの復活について、彼らは復活させられると教えていた。この箇所で探求される事柄は次のことである:ヘロデと民に属する或る人たちが[5]、魂について――しかも間違った仕方で――考えている意見が何かその種のものであるかいなかということである。すなわち(彼らの意見では):少し前に彼によって抹殺されたヨハネが、首をはねられたのちに死者たちの中から復活し、異なる名前を使い、いまやイエスと呼ばれ、彼が以前ヨハネとして働かせていたのと同じ諸々の力を受け入れているとされる。しかし、民全体に非常によく知られユダヤ全土で喧伝かまびすしい方――人々は彼を、大工とマリアとの子であり、しかじかの兄弟姉妹を持っていると言っていた[6]――がヨハネに他ならないと見なされることが、どうして説得力を持つだろうか。なぜなら彼についても、彼の父はザカリア、母はエリザベトであり、両親も民の間で無名ではなかったたからである[7]。民がヨハネについて「彼は本当に預言者である[8]」と考えており、また、ファリサイ派の人他たちが、民にとって不快なことを言っていると思われないようにするために、彼の洗礼が「天からのものか、人間たちからのものか」に答えるのを恐れるほど[9]、民の数は多かったのであるから、彼がザカリアの息子であることを人々は知らないわけがなかったに違いない。おそらく彼らの内の幾人かには、ガブリエルがザカリアに現れたとき神殿の中で(彼によって)見られた幻に関する諸々の事柄が届いていただろう[10]。したがって、ヘロデの誤りであれ、民に属する或る人たちの誤りであれ、ヨハネとイエスが別人ではなく、ヨハネという同一人物が、首をはねられた後に死者たちの内から復活し、イエスと呼ばれたと考えることに、どのような説得力があるだろうか[11]

しかし或る人は、輪廻転生という謬説が[12]ヘロデと、民の属するものたちの幾人かの内に生じたというだろう:すなわち彼らは、その謬説によって、かつて誕生においてヨハネとなった者が、死者たちの中からイエスとして(この世の)生活に来たと考えたと。六ヶ月を越えなかったヨハネとイエスの誕生の間の時間が[13]、そのような謬説を説得力あるものと見なすことを許さない。むしろヘロデの内には、何か次のような推測があっただろう:すなわち、ヨハネの内で働いていた諸々の力が[14]、イエスのところに移動し、それらの力によって彼が洗礼者ヨハネであると民の間で信じられたのだと。また人は、次のような試論を利用するかもしれない:すなわち、エリアの霊と力によって[15]――彼の魂によってはない[16]――ヨハネについて、「彼は、来るべきエリアである[17]」と言われた――なぜならエリアの内にあった霊と彼の内にあった力がヨハネに移ったからである――のと同様に、ヘロデは、ヨハネの内にあった諸々の力が、ヨハネの内では洗礼と教えとに関する諸々の事柄を働いた――実際「ヨハネは、しるしを何一つ行わなかった[18]」――が、イエスの内で驚異的な諸々の力を働いたと考えた。また人は、エリアがイエスの内に現れたと言う人々や、「いにしえの」預言者の一人が復活させられたと言う人々も[19]、同様のことを推測したと主張するだろう。イエスは「預言者たちの一人のような預言者だ[20]」と言った人たちの教えも、探求にまったく値しない。したがって、ヘロデの言葉――それはイエスについて記載されている――も、或る人たちによって言われた言葉も、誤りである。むしろ、ヨハネが「エリアの霊と力の内に先行した[21]」ということに類比することが、いま彼らによって、ヨハネとイエスに関して憶測されているとするのが、幾らか説得力を持つように私には思われる。

 ところで、我々は第一に次のことを学んだ:すなわち、救い主は誘惑の後、「ヨハネが(官吏に)渡されたと聞き、ガリラヤに退いた[22]」こと、第二に「牢獄の中にいたヨハネは、イエスに関する諸々の事柄を聞き、「自分の弟子たちの中から二人を遣わして、彼に『あなたは来るべき方ですか。それとも私たちは、別の人を待つべきですか』と言った[23]」こと、第三に締め括りとしヘロデがイエスについて、「彼は、洗礼者ヨハネだ。彼は死者たちの中から復活させられた[24]」と言ったことを学んだ。しかし我々は、洗礼者の抹殺の様子をどこからも予知していなかった。そこで、いま、マタイはそのことも記載し、マルコも彼と同じような仕方でそれを記載したのである。しかし、ルカは、彼らの許にあった歴史(的出来事)の多くの事柄について沈黙している。



[1] Mt.14,1-2.

[2] Cf.Mc.6,14.

[3] Cf.Lc.9,7.

[4] Cf.Mt.22,23; Ac.23,8.

[5] Cf.Mc.6,14; Lc.9,7.

[6] Cf.Mt.13,55; Mc.6,3.

[7] Cf.Lc.1,5.

[8] Mc.11,32.

[9] Mt.21,25; Mc.11,30; Lc.20,4.

[10] Cf.Mc.1,19-22.

[11] Cf.Mc.6,16; Lc.9,8-9.

[12] 省略

[13] Cf.1,24.26.32.

[14] Cf.Mt.14,2.

[15] Cf.Lc.1,17.

[16] 魂によってなら、いま話題にされている推測は、輪廻転生説になる。

[17] Cf.Mt.11,14; Mt.17,10-13.

[18] Jn.10,41.

[19] Cf. Lc.9,8.19; Mt.16,14; Mc.8,28.

[20] Mc.6,15.

[21] Lc.1,17.

[22] Mt.4,12.

[23] Mt.11,2-3.

[24] Mt.14,2.

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