22 それゆえ、預言的な闊達さに飾られていたヨハネは、ヘロデの王的な品位に怖じ気づかず、そのれほど重大な罪について死の恐れによって沈黙することもなく、神的な思慮に満たされて、ヘロデに言った:「彼女を持つことはあなたに許されていない。なぜならあなたの兄弟の妻を持つことは、あなたに許されていないからだ[1]」と。そこで「ヘロデは、ヨハネを捕らえて縛り、彼を牢獄に勾留した[2]」が、「預言的な言葉[3]」を完全に殺し、民から取り除く大胆さは持たなかった。しかし、王の妻であったトラコニティスの女――彼女は、邪悪な考えと邪な教えのようなものだった――は、同名の娘を生んでいた。その娘が示した数々の優美な動きは、誕生に関わる諸々の事柄を好んでいたヘロデを喜ばせ、預言的な頭がもはや民の中に存在しないようにするための原因になった。ここまでのところ、律法に即しているように見えるユダヤ人たちの諸々の動きは、ヘロディアの娘の諸々の動きに他ならないと、私は思っている。しかし、ヘロディアの踊りは、踊らなければ次のように言われて非難される聖なる踊りと正反対のものであった:「我々はあなた方のために笛を吹いたが、あなた方は踊らなかった[4]」。そして誕生祭に関する諸々の事柄の中で、彼らの違法な言説が君臨していたとき、彼らは踊った。それは、彼らの諸々の踊りがその言説にかなうようにするためである。ところで我々の以前の人たちの内のある人が[5]、『創世記』の中に記載されたファラオの誕生祭に注目し、次のように解釈した:邪悪な者が誕生に属する諸々の事柄を愛し、誕生日を祝うと[6]。それに対し我々は、その人から手がかりを見出し、義人によって誕生祭が祝われている箇所を()文書のどこに見出さない。なぜならヘロデは、あのファラオ以上に不義だったからである。実際、後者によって、誕生祭において料理長が抹殺され[7]、前者によってヨハネが抹殺されたが、彼よりも「偉大な者は、婦人たちから生まれた者たちの中で誰も起きなかった[8]」。さらに救い主は、彼について次のように言っている:「しかしあなた方は、なぜ出て行ったのか。預言者を見るためか。そうだ、私はあなた方に言っておく。預言者に優る者を(見るためだ)[9]」と。しかし神に感謝すべきである。なぜなら、預言的な恵みが民から取り除かれても、そのすべての恵みよりも偉大な恵みが、我らの救い主――「死者たちの中で自由な者となった[10]」イエスを通して諸国の民の中に注ぎ出された。実に彼は、「弱さのゆえに十字架に掛けられたとしても、神の力によって生きている[11]」。

 さらにあなたは、民――その民の内で諸々の清い食べ物と清くない食べ物が吟味された――に注目すべきである。それに対し、食物としてお盆に載せて供された預言は軽視された。ユダヤ人たちは、預言の頭を持っていない。なぜなら彼らは、一切の預言の頭をキリスト・イエスを拒否しているからである。預言者は、諸々の誓い――それらについてはのゆえに頭を切断された[12]。それら(の誓い)については、真摯な誓いをするよりは偽の誓いをするべきだった。実際、諸々の誓いの軽率さとその軽率さによる偽の誓いという非難と、真摯な誓いによる預言的な抹殺の非難は同じではなかった。しかし、そのことによってばかりでなく、同席者たちのゆえにも、頭は切断された[13]。なぜなら彼らは、預言者が生きているよりは抹殺されることを望んでいたからである。彼の誕生を喜ぶ人たちは、食卓に着き、ユダヤ人たちを支配している邪な言説を賞味した。あなたなら、軽率に誓って、違法に立てられた諸々の誓いを確かなにもにしようと望む人たち対して、その文言を賢く使うだろう――諸々の誓いのすべての遵守が、ヘロデの(誓いの)遵守と同様に、適切なのではないと、あなたは言って。さらに次のことにも注目すべきである:すなわち、闊達にではなく、密かに牢獄の中で、ヘロデはヨハネを殺害した[14]。実に今日のユダヤ人たちの民も、諸々の預言を闊達に拒んでいるのではない。彼らは、力の限りを尽くして密かにそれらを拒んでおり、自分たち自身が不信仰であることを明らかにしている。実際、もしも彼らがモーセを信じているなら、彼らはイエスを信じただろう[15]。それと同様に、もしも彼らが預言者たちを信じているなら、彼らは、預言された人に馳せ依っただろう。しかし彼らは、その人を信じないのであるから、彼ら(預言者たち)をも信じないであり、「預言的な言葉[16]」を牢獄の中に閉じ込めて切断し、死んで切り裂かれ健全さがどこにもない言葉[17]を保持している。なぜなら彼らは、それを理解していないからである。しかし我々は、イエスを損なうことなく持っている。なぜなら彼に関して次にように言う預言が成就されているからである:「彼の骨は砕かれないだろう[18]」。



[1] Cf.Mt.14,4 et Mc.6,18.

[2] Mt.14,3.

[3] 2P1,19.

[4] Mt.11,17; Lc.7,32.

[5] Cf.Philon,, De Her.209 (389M).

[6] Cf.Sel.in Gn.XLIV, PG 12, 129D.

[7] cf.Gn.40,22.

[8] Mt.11,11; Lc.7,28.

[9] Mt.11,9; Lc.7,26.

[10] Cf.Ps.87,6.

[11] 2Co.13,4.

[12] Cf.12,9-10.

[13] Cf.Mt.14,9.

[14] Cf.Mt.14,10; Mc.6,27.

[15] Cf.Jn.5,46.

[16] 2P.1,19.

[17] Cf.Tt.2,8.

[18] Jn.19,36; cf.Ex.12,46; Ps.33,21.

 

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