10 しかし、我々は目下の諸々の言葉に戻ることにしよう。すなわちそれらの言葉の中で救い主は、律法から二つの掟を縮約して抜き出した:一方の掟は『出エジプト記』の十戒から抜き出し[1]、他の掟は『レビ記』から[2]、あるいは(モーセ)五書の中の一書の他の諸々の箇所から抜き出した[3]。次に我々は、自分の父や母に「あなたが私から受けるかもしれない贈り物」と言う人は自分の父や母を敬わないだろうと言う人たちが、どのようにして「あなたは、あなたの父とあなたの母を敬いなさい[4]」と述べる神の言葉を破棄したのかを解釈した。そこである人は、どうして彼が、「自分の父や自分の母をののしる者は、死をもって終わらされねばならない[5]」という言葉を合わせて引用するのか探求するかもしれない[6]。そこで、父と母の尊敬のために贈与される諸々の物をコルバンと呼ばれるものに献げる人は、父と母を敬わないとするにしても、ファリサイ派の人たちの伝承は、「父や母をののしる者は、死をもって終わらされねばならない[7]」という言葉をどのようにして破棄するのか。しかしおそらく、父や母に「あなたが私から受けるかもしれない贈り物」と言う人は、いわば暴言を父や母に吐いているといえよう――あたかも、コルバンに献げられた諸々の供え物を、それらをコルバンに献げた人から取った親たちを聖物泥棒と言うようなものである。

 かくしてユダヤ人たちは、父や母に「あなたが私から受けるかもしれない贈り物」と言う子どもたちを、父や母をののしる子たちとして、律法に従って諫める。ところがあなた方は、あなた方の一つの伝承によって、神の二つの掟を破棄している[8]。次にあなた方は、私の弟子たちを非難しても恥じ入らない。彼らはいかなる掟も踏み越えていないが――彼らは実際、「彼のすべての掟と諸々の義の行いの内に非の打ち所なく[9]」歩んでいる――、神の掟を踏み破らないように用心しつつ、「長老たちの伝承[10]」に違反している(だけである)。もしもそのような状況にあなた方が直面したら、あなた方は、父と母の尊敬に関する掟と[11]、「父や母をののしる者は死をもって終わらされねばならない[12]」と言う掟を守るが、それらの掟に対立する「長老たちの伝承」を守らないだろう。



[1] Cf.Ex.20,12.

[2] Cf.Lv.20,9.

[3] Cf.Ex.21,16; Dt.27,16 etc.

[4] Cf.Mt.15,5-6.

[5] Mt.15,4.

[6] 本当にオリゲネスは細かい人やね。

[7] Mt.15,4.

[8] Cf.Mt.15,3.

[9] Cf.Lc.1,6.

[10] Cf.Mt.15,3.

[11] Cf.Ex.20,12.

[12] Lv.20,9.

 

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