そうして弟子たちは渡りきって、「ゲネサレトという土地に入った[1]」。その土地の解釈をもしも我々が知っていれば、私たちはその解釈そのものから、目下の諸々の事柄の説明に対して何らかの利益を得ることができただろう。しかし、「神は誠実な方で」、群衆たちが彼らの能力を超えて試みられることを許さないのであるから[2]、あなたは、どのようにして神の子が「弟子たちを強いて舟に乗せた[3]」のかを精査すべきである。実に彼らは(群衆たち)より強く、海の真ん中まで進み[4]、諸々の波の艱難を耐えることができたのであり[5]――彼らが神的な助けに相応しい者となって、イエスを見[6]、彼が語りかけてきたのを聞き[7]、彼が(舟に)乗ると彼らは渡ってゲネサレトという土地に入っていくことができた[8]。ところが神の子は、群衆たちを解散して[9]――なぜなら彼らは(弟子たち)より弱く、舟と諸々の波と逆風という試練に耐えられないからである――、一人で祈るために山に登ったのである[10]。何について祈るために? おそらく群衆たちに関して、彼らが賛美の諸々のパンの後で解散[11]されてから、イエスによる解散に反することを何も行わないようするためだろう。他方、弟子たちに関しては、彼らが「弟子たちを舟に乗せ、ご自分に先立って向こう岸に行くように強いられた[12]」弟子たちが、海の中で、彼らの舟を悩ます諸々の波からも、逆風からも何も被害を受けないようにするためだろう[13]。しかし、私は勇気を持って次のように言いたい:すなわち、弟子たちのための父へのイエスの祈りによって、海と諸々の波と逆風が彼らに対抗しても、彼らはまったく被害を受けなかったと。

 より単純な人は、(歴史的な)物語で満足すべきである。しかし、もしも我々があるとき諸々の試練の数々の圧迫の内に落ちたなら、イエスが、我々をご自分よりも先に向こう岸に行かせようと望んで、我々が舟に乗るように強いたことを[14]、我々は思い出すことにしよう。なぜなら、諸々の波と逆風という数々の試練を耐えなかった者たちは[15]、向こう岸に行き着くことができないからである。次に、多くの困難な事柄が我々を取り囲んでいるのを我々が見て、憔悴しながらそれらの事柄をどうにか無難に切り抜けようとするときには、我々は次のことを考えよう:すなわち、我々の舟はそのとき海の真ん中にあって[16]、「信仰に関して[17]」あるいは諸々の徳の何かに関して我々が難破することを望む諸々の波によって悩まされいること。しかし、邪悪の人の息が我々の諸々の業務に対抗するのを我々が見るなら、そのときの風は我々にとって逆風になっていると我々は考えることにしよう[18]。したがって我々がそれらの事柄を被りながらも、力を尽くして美しく戦い、「信仰に関して[19]」あるいは諸々の徳の何かに関して難破しないように身を守りつつ、諸々の試練の内にある闇に満ちた夜の三つの不寝番[20]を全うするなら――第一の不寝番で暗闇と邪悪の父と戦い[21]、第二の不寝番で「神と呼ばれる一切のものや崇拝の対象[22]」に対して立ち上がって反抗する彼の子と戦い、第三の不寝番で聖霊に敵対する霊と戦うことによって三つの不寝番を全うするなら――、そのとき我々は次のことを信じることにしよう:「夜が進み、日が近づいて[23]」、第四の不寝番が来ると、神の子が海の上を逍遙しつつ、我々のために海を和らげるために、我々の許に来るだろうと。そして、み言葉が我々に現れたのを我々が見ると――救い主が我々の許に訪れたことを明瞭に把握する前は――、我々は困惑し、亡霊を見ていると考え、恐れて叫ぶだろう[24]。しかし、彼は直ぐに我々に語りかけて言うだろう:「あなた方は勇気を持ちなさい。私である。あなた方は恐れてはならない[25]」。そして我々の中には、「あなた方は勇気を持ちなさい」という言葉によっていっそう性急に動かされたペトロのような人――彼は、「完成に向かって」歩んでいるが[26]、まだそのような者になっていない人――が見出されるとすれば、彼は、自分を試みたあの試練の外の外に出たとして船から下りて、始めのうちは、イエスの許に行こうと望み、諸々の水の上を逍遙するだろう[27]。しかし彼は、依然として信仰が薄く、依然として疑っていたために、強い風を見て恐れ、水没し始めるだろう。しかし彼はそれを被らなないだろう――大きな声でイエスを呼び、彼に「主よ、私を救ってください[28]」と言うことによって。次に、そのようなペトロが「主よ、私を救ってください」と言って、まだ話していると、み言葉は直ぐに手を差し伸べ、そのような人に助けを及ぼし、水没し始めた彼を掴み、薄い信仰と疑いのゆえに彼を咎めるだろう[29]。しかしながら、彼が「不信仰者よ」と言わず、「信仰の薄い者よ」と言い、次のように語れられていることに、あなたは留意すべきである:「あなたは何のために疑ったのか[30]。なぜなら、あなたは信仰の何がしかを持っているのに、それと反対の方向に傾いているからだ」と。



[1] Mt.14,34.

[2] Cf.1Co.10,13.

[3] Mt.14,22.

[4] Cf.Mc.6,47.

[5] Cf.Mt.14,24.

[6] Cf.Mt.14,26.

[7] Cf.Mt.14,27.

[8] Cf.Mt.14,34.

[9] Cf.Mt.14,22.

[10] Cf.Mt.14,23.

[11] この「解散」と直後の「解散」には「解放」の意味もある(既出)

[12] Cf.Mt.14,22.

[13] Cf.Mt.14,24.

[14] Cf.Mt.14,22.

[15] Cf.Mt.14,24.

[16] Cf.Mc.6,47.

[17] Cf.1Tm.1,19.

[18] Cf.Mt.14,24.

[19] Cf.1Tm.1,19.

[20] 直訳は「諸々の試練の内の闇の夜の三つの徹夜」となる。さすがに少しだけ意訳した。前節で指摘したように、オリゲネスは、夜を四つの(宵・夜更け・暁・夜明け)に分け、それに応じて四つの不寝番を設定している(盗用厳禁)

[21] Cf.Rm.13,12; Ep.6,12 etc.

[22] 2Th.2,3-4.

[23] Rm.13,12.

[24] Cf.Mt.14,26.

[25] Mt.14,27.

[26] Cf.He.6,1.

[27] Cf.Mt.14,29.

[28] Mt.14,30.

[29] Cf.Mt.14,31.

[30] Cf.Mt.14,31.

 

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