オリゲネス

マタイによる福音注解

第17巻

第15節~第22節

最終更新日13/01/15


 

本文

 

15   「そしてイエスは答えて、再びたとえで語られた。『諸々の天の国は、人間である王にたとえられました。彼は、ご自分の息子のために婚礼を催して、ご自分の僕たちを遣わした、云々。そして最後に招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない』と」(Mt.22,1-14)。

 このたとえ話は、完全に理解できて、明瞭であるように見えるでしょう。そのたとえ話では、人間である王は、比喩的に、イエス・キリストの御父である神だと言われているのであり、王の息子の婚礼は、教会の花婿であるキリストへの、キリストの花嫁である教会の回復であると言われているのです。そして婚礼に招かれる人たちを招くために遣わされる僕たちは、キリストへの教会の回復に与えられた喜びへと、民衆から出た人たちを預言を通して立ち返らせる、時宜を得た預言者たちです。また、(婚礼に)行こうとしなかった、最初に招かれた人たちは、預言者たちの言葉に耳を傾けようとしなかった人々でした。(再度)遣わされた別の僕たちは、預言者たちの別の一団だったのです。更に用意された食事、その中には、屠られた王の牛と肥えた家畜がありましたが、その食事は、神の諸々の神秘の堅くて理性的な食物でした。同様に、用意されたすべての物は、すべての存在者についての諸理拠であり、(婚礼の)招きに応じたた人たちは、(完全なものが来るときに)飲食することになるでしょう。

 そして預言者たちを通して招かれた人たちの内、ある人々は、ただ言われたことを無視して生業に専念するだけで(預言者たちに対しては)悪し様な態度は確かに採りませんでした。しかし(他の人々は)彼らに対して(悪し様な態度を採りました)。そのため(イエスは)彼らの間の相異を示そうとお望みになって、こう言われたのです。「しかし彼らは無視して、ある人は自分の畑に、またある人は自分の商売に出て行き、その他の人々は、王の僕たちを捕えて、辱め、殺してしまった」と。

 更にそうしたささか大雑把な物語りに従って、王の怒りが理解されます。使徒(パウロ)もまた、ユダヤ人たちに関連して、神の怒りに言及してこう言っています。「しかし彼らに対する怒りは極限に達しました」(1 Th.2,16)と。そしてキリストの到来以後のユダヤ人たちに対する戦いとエルサレムの占領および人々の殺戮が預言されています。こう言われています。「そして(王は)ご自分の軍隊を差し向けて、この人殺したちを滅ぼし、彼らの町に火を放った」(Mt.22,7)と。

 

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