21   そして――その本性に関する限りで――天使たちや玉座の霊たち、主権の霊たちや支配の霊たち、また権威の霊たちよりも劣った人間たちの間では、諸々の天の国が人間である王にたとえられたのと同じように、玉座の霊たちの間では諸々の天の国が玉座の霊である王にたとえられ、主権の霊たちの間では主権の霊である王に、支配の霊たちの間では支配の霊である王に、そして権威の霊たちの間では権威の霊である王にたとえられるのかどうかを、あなたは探求して下さい。と申しますのは、より劣った者たちに対しては諸々の天の国は人間である王にたとえられたが、人間よりも優れた者たちに対してはそれと同じことが行なわれないというのは、何と馬鹿げたことではなかろうかと言う人がきっといるからです。

 さて、人間である王にたとえられたこのお方は、ご自分の息子のために婚礼を催して、婚礼に招かれる人たちを招くためにご自分の僕たちをお遣わしになりました。そしてあなたは次のことを考察して下さい。それは、<身体的な意味では>婚礼で結ばれた花嫁が、(客を)招く僕たちとも婚礼に招かれた人たちとも異なるのと同じように、霊的な事柄においでもある者たちは花嫁の一団に受け入れられた者たちであり、また他の者たちは婚礼に招かれる者たちを招くために遣わされた僕たちの位階に受け入れられた者たちであり、更に彼らの他に第三の者たちとして婚礼に招かれた者たちがいるのではない、ということです。しかし神様ならばたぶん、諸々の魂の様々な職位やそれらの魂と伴にある諸霊の様々な職位、および、ある者たちは花嫁たちの一団に受け入れられ、また他の者たちはそうした招きに仕える僕たちにの中に受け入れられ、更に他の者たちは招かれる者たちの中に受け入れられることの原因を知っているでしょう。そしてあなたは、霊的な婚礼においては、交わりとは花婿である御言の受容であり、出産とは花嫁である魂の立派な行ないであると、理解すべきです。と申しますのは、花嫁である魂は御言と結ばれると、御言によって滅ぼされることなく、むしろ御言とのその都度の交わりに応じて不滅に与り、理性的な産出物を、たぶんそうした婚礼から生じるものとして、生み出すからです。

 

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