22 あなたは、そうした婚礼で用意された食事とは霊的な言葉に含まれている固い食物から出来ていると理解して下さい。

そしてあなたは私が比喩的に解釈した食物の固さを(屠られた)牛の中に理解して下さい。しかし(それと)同じ観想の霊的なものを屠られた肥えた家畜の中にも理解すべきであるし、またその他、身体的なものに対応する多種多様な霊的観想を「そしてすべてのものが用意された」という言葉の中にも理解して下さい。と申しますのは、王は王としての豊かさの中で、ご自分の王権と富とに相応しい仕方でそうした食事をお作りになるからです。

 ですから、イスラエル人たちのある高貴な生まれの魂たちの特別な召し出しがその婚礼のために行なわれたように私には思われます。実際神は、教えの言葉によって(婚礼に)招く者たちを通して特別な仕方で、(霊的)理解に適したより善き生まれの人たちがそうした幸いな食卓に到るように望んでおられます。そして次のことを看て取ることができます。つまり、そうした(高貴な生まれの)人たちは招きに応じて来ようとせず、そしてそれ故に別の僕たちが遣わされて、来ようとしない人たちを招き、万が一招かれた人たちが来るようであれば、浄いものの中でもすべての浄いものに勝った牛であれ、個々の問題に関する諸観念の多くの多種多様な解明によって肥えた家畜であれ、王によって用意された食事に与るだろうと約束する、ということであります。確かに、当面の問題に関する偉大で豊かな証明をもたらして下さる方は、いわば肥えた言葉や選り分けられた言葉そして比喩として言われる屠られた言葉を与えて下さいます。

 もしも――これは仮にでの話でございますが――そのお方が諸問題の解明のために何かしら貧相で貧弱なものを、その問題の相応しい解答としてもたらされるとすれば、何かしら軽くて水気のないもの、そして――同じようなことを言うことになりますが――乾いていて肉でないものが存在することになるかも知れません。しかし王の食事で用意されるのはそういったものではありません。と申しますのは、その食事において王は「私の牛と屠られた肥えた家畜」と言われ、また同じような意味で「すべての用意」と言われているからです。こうして僕の立場でそして霊的な給仕人の奉仕の中で、召し使いたちの各々は命令を受け、取り分けかのものを、つまり奉仕するように学んだものを食事に運んで来ます。そして彼は――すでに私が申しましたように――たとえ話によると第二の人々を促して、「さあ、私は食事を用意しました。私の牛と肥えた家畜を屠り、すべての準備が出来ています。婚礼においで下さい」と言ったのです。

 

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