ルフィヌスの序文

 

兄弟[1]よ、幸いなる殉教者[2]の言葉で、あなたに申し上げますと、「いとも親愛なるドナトゥスよ、貴殿は、私を静粛するように忠告するのがよろしい。なぜなら私は」、モーセの律法に関して語られた老齢のアダマンティオス[3]の言葉を収集し、それらを私どもの朗読に供するためにラテン語に翻訳すると、「私が約束したことを思い出したからです」。しかしながら、約束を果たすには、彼が述べておりますように、「好ましい」時が訪れていたわけではなく、むしろ私どもには、荒々しい「嵐の」時が臨んでいました[4]。実際、人々が諸々の敵に恐れ戦いているときに、目前で町と田園が蹂躙されているときに、数々の海難を経て人が避難しているときに、流浪それ自体に恐れが無きにしも非ずというときに、一体に執筆にどのような余地があるでしょうか。事実、あなたご自身がご覧になったとおり、私どもが思いますには、レジヌスの町の火災を煽り立てていた夷狄は、イタリアの地をシクルムから隔てる極めて狭い海峡によって、遠ざけられているだけでした[5]



[1] ルフィヌスの翻訳作業の後援者ウルサクスUrsacus(後出)をさす。

[2] カルタゴの司教キュプリアヌスの『ドナトゥスへの手紙』(SC 291, 75)から抜粋である。

[3] Adamantius:「鋼鉄の人」という意味で、オリゲネスの死後の異名である。ルフィヌスやヒエロニムスの書簡の中に、たびたび出てくる。

[4]本文中で「好ましい」、「嵐の」と訳したラテン語は、それぞれ、tempestiuum, tempestuosumである。ルフィヌスは、キュプリアヌスの言葉tempestiuumを受けて、tempestuosumと語呂合わせをしている。

[5] アラリックに率いられたゴート族のイタリア侵入(410)をさしている。