したがって、このような状況の下では、執筆するために、特に翻訳するために――この翻訳では、自分自身の理解を披瀝するよりも、他者の諸々の理解を適応することが求められています――、どのような安全があり得るでしょうか。しかしながら、夜になって、諸々の魂を震撼させる敵の侵略に対する恐れが和らぎ、燈火の下に(翻訳に)従事する暇が少しでも与えられるなら、それは、諸々の災難における慰めになり、遍歴を軽減する恵みになるでしょう。そのような夜に、講話体のものであれ、『評注』と呼ばれているものからの抜粋であれ、『民数記』に関して書かれたものを見出したものをことごとく、あなたが切望しておりますので、私どもは全力でラテン語に翻訳しつつ、様々なところから取って一つにまとめ、配列いたしました[1]。その上、ウルサクス、あなたは、ご自身の要求が高じて、若い書記の作業が遅いとお考えになっているときには、私どもの仕事を何にもまして支えてくださるのです。



[1] ルフィヌスは、原書を忠実に翻訳していないことを認めているが、意図的な改ざんを行っているわけではない。彼は、『民数記』に関するオリゲネスの解釈を、「様々なところから」引き、ラテン語圏の読者に紹介しようとしているにすぎない。このような彼の翻訳の姿勢は、彼の他の翻訳のすべてに貫かれている。