しかしながら、兄弟よ、この(書の)朗読は、たしかに理解のための諸々の道を開きますが、あなたが諸々の注解書の内にお読みになったように、書かれている事柄のすべてを一つひとつ検討しているわけではないことを承知していただきたいと、私は願っております。もちろん朗読者[1]は、無為になるべきではありません。むしろ朗読者は、聖書に書かれておりますように、「みずからの心を悩ませ、理解を示す[2]」べきですし、善い言葉を聞いたなら、賢者として、その言葉に(言葉を)添えなければなりません[3]



[1] この場合の朗読者(lector)は、原典のラテン語訳を書記に読み聞かせるルフィヌス人をさす。

[2] Cf.Qo.2,19.

[3] Cf.Qo.21,15.