民数記第一講話[1]

人口調査

 すべての人たちが神的な諸々の数に相応しいのではありません。神の数に含まれるにべき人たちは、ある特別な優先順に従って指名されます。

 『民数記』と題されたこの書が、このことの明白な証拠を含んでいます[2]。この書の中で、婦人たちは、女性特有の弱さが障害となり、神の命令によって、人口調査には連れ出されないと述べられています。奴隷たちも、生活と品行が相応しくないため、同様であると述べられています[3]。エジプト人たちも、数えられた人たちから締め出されます。なぜなら、彼らは明らかに異国人であり、夷狄だからです。イスラエル人たちだけが数えられますが、彼らのすべてではありません。「二十歳以上の[4]」イスラエル人たちが数えられます。しかし、年齢だけが考慮されるのではありません。諸々の戦いに適した剛健さを示しているかどうかが問われます。実際、神の言葉によって、「力において前進した者が数えられなければならない[5]」と指示されています。ですから、年齢ばかりでなく、力も、イスラエルの場合には要求されます。子どもの年齢は数えられませんし、神的な計算に相応ししものとして連れ出されません。だたし、初子の男児たちや、祭司ないしはレビ族の家系から出た子どもたちは、この限りではありません。子どもたちの中で彼らだけは、人口調査に連れて行かれます。しかし、女性たちの誰一人として、(人口調査に)決して連れて行かれません。

 



[1] 本講話は、オリゲネスがカイサレイア時代に、当地の教会の典礼暦に合わせて行った一連の聖書講話の一つの、ルフィヌスによるラテン語訳である。訳文中に見られる見出し、小見出し、数字は、本文の理解を容易にするために付けたもので、ラテン語原文にはない。

[2] 訳者(朱門)は、divini numeri, numerus Dei, Numerorumを、それぞれ、「神的な諸々の数」、「神の数」、「民数記」と訳している。また、次行の「人口調査」も、原語はnumerusである。

[3] Cf.Nb.1,1-4.

[4] Cf.Nb.1,3.

[5] Cf.Nb.1,3.