14 しかしあなたは、この分配そのものにも、数々の予型と象徴が先行していることに気づくでしょう。実際、ある(部族の)人たちにはヨルダン川の向こうの地が分配され、他の(部族の)人たちにはヨルダン川の手前の地が分配されたこと、ある(部族の)人たちには最初に、他の(部族の)人たちには二番目に、更にいくつかの(部族の)人たちには三番目に分配されたこと、こうして順を踏んで嗣業地が分配されたこと[1]――その地では「それぞれが、自分の無花果の下で、自分のブドウの木の下で安らぎ、脅かすもはもはやないでしょう[2]」――は、どうでもいいことではありません。数々の厳かな神秘の内に前もって示されたそれらすべての事柄は、主イエスご自身が、その到来の日に、「鏡を通し謎めいて」ではなく、「顔と顔を合わせ[3]」真実の内に、「心の証人[4]」である主ご自身がご存知の各自の功績に応じて実現してくださるでしょう。主イエスに、「栄光と力が代々にありますように。アーメン[5]」。



[1] Cf.Jos.13,1s.

[2] Mi.4,4.

[3] 1Co.13,12.

[4] Cf.Jr.17,10.

[5] Cf.1P.9,11.

 

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