「主は、シナイの荒れ野でモーセにお語りになった[1]」。すなわち、上で私たちが手短にお話したすべてのことを、主はお語りになりました。こう命じられています:「イスラエルの力において進歩した二十歳以上のすべての者は、数えられなければならない[2]」と。「力において進歩した者」――と言っても、「任意の力」すなわち、エジプト人たちの力やアッシリア人たちの力、ギリシア人たちの力においてではなく、イスラエルの力において進歩した者――が、神のみ前で数えられます。実際、ギリシア人哲学者たちが教える魂の力があります。この力は、神の数には属しません。なぜならそれは、神のためではなく、人間的な栄誉のために行使されるからです[3]。占星術の研究において激賞されるかるアッシリア人たちやカルデア人たちの力があります。しかしそれは、イスラエル人の力ではなく、したがって神には属しません。エジプト人たちの力もあります。彼らは、それが秘密の知識と呼んでいるものの内にあると言っています。しかしそのような力は、神の計算に加えられません。ただイスラエルの力だけが、神のみ前で数えられます。それはすなわち、神によって教えられる力であり、諸々の神的な書物を通して習得される力であり、福音的使徒的な信仰を通して伝えられる力です。そのような意味で主は、「イスラエルの力において前進する」者たちだけが「数えられなければならない」と言っています。



[1] Nb.1,1.

[2] Nb.1,3.

[3] 哲学や、アッシリア人たちやカルデア人たちの力に象徴される当時の学識(一般教養)に対するオリゲネスの考え方が、ここにも明瞭に現れている。詳論する暇はないが、世俗の学識だけでは救いはもたらされない、というのがオリゲネスの考えである。

 

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