では、これらの人口調査に関するすべての話と諸々の順序の違いが、どのような神秘的理解を含んでいるかを、私たちは考察することにしましょう。

諸々の死者の復活の期待は、私たちにとって確かなことです。なぜなら、「生き残っている人たちが、キリストの来臨に際し、眠った人たちに先んずることはなく[1]」、むしろ「彼らとともに」結ばれ一つになり、「諸々の雲の中に引き上げられ、空中でキリストに出会うでしょう[2]」とあるからです[3]。すなわち彼らは、この地上の腐敗と死の諸々の住処とを後に残し、パウロが言明するように、全員が「空中に[4]」留まるか、あるいは、一部の人たちはさらに、楽園ないしは、「父のみ許にある多くの住まいの[5]」任意の場所に移されるでしょう。しかし、(このような)行き先や栄光の違いは、疑いもなく、各自の諸々の功績と行いとから説明されます。人はそれぞれ、諸々の振る舞いの功績がみずからに課す順序の内にいることでしょう。それは、同じパウロが、復活する人たちについてあらかじめ証して言っているとおりです。こうあります、「各自は、それぞれの順位にしたがわなければなりません[6]」と。



[1] 1Th.4,15.

[2] 1Th.4,17.

[3] ここから、死後の霊魂の行く末に関する、聖書の言葉に基づくオリゲネスの推測が始まる。Cf.De Princ.,II, 11,6 (SC252, p.409).

[4] 1Th.4,16.

[5] Cf.Jn.14,2.

[6] 1Co.15,23.

 

次へ