民数記第十講話

聖なる人たちの諸々の罪

「主は、アロンに言われた。『あなたと、あなたの子らと、あなたの父の家の人たちは、あなたと共に、聖なる人たちの諸々の罪を負わなければならない』[1]」と書かれていることについて。

 いっそう優れた人たちは、いっそう劣った人たちの諸々の過ちや罪を常に引き受けます。それは、使徒も言っているとおりです。こうあります。「いっそう強いあなた方は、いっそう弱い人たちの諸々の弱さを担ってください[2]」。イスラエル人すなわち平信徒が罪を犯したなら、彼は自分自身で自分の罪を取り除くことはできません。彼は、レビ人を探し、祭司を必要とします。さらにそれ以上に彼らに優る或るものを求めます。諸々の罪を得ることができるには、大祭司が必要です。しかし、祭司や大祭司が罪を犯したなら、彼は自分で自分の罪を清めることができます――彼が神に対して罪を犯していなければ。なぜならこの種の諸々の罪については、何らかの赦しが律法の文書の中に示されているのを私たちは容易に見ることができないからです。



[1] Nb.18,1.

[2] Rm.15,1.