12 しかし、もしもあなたが証の幕屋を人間に当てはめたいなら――実際、パウロは人間の身体を「幕屋」と呼び、次のように言っています。「この幕屋の中にいる私たちは、重荷を負わされうめいています。この幕屋を脱ぎ捨てたいからではなく、さらに着たいからです[1]」。そこで、もしも私たちが、幕屋を人間に当てはめるなら、近寄りがたい諸々の事柄が含まれている覆いの内部は、心の主導能力――それだけが、真理に関わる諸々の神秘を受け取ることができ、神に関する諸々の秘密を捉えることがでます――であると私たちは言いましょう[2]



[1] 1Co.5,4.

[2] ここに述べられた「心の主導能力」(principale cordis)は、既に、節訳の中に何度も出てきたが、ストア派に由来することは言うまでもない。

 

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