13 他方、二つの祭壇、すなわち内部の祭壇と外部の祭壇は――祭壇は祈りの指標ですから――それは使徒が、「私は霊において祈りましょう。精神において祈りましょう[1]」言っていることを意味していると、私は思います。実際、私は、心の中で祈ったとき、内部の祭壇に入ります。これは、主が諸々の福音の中で言っていることでもあると、私は思います。こうあります。「しかし、あなたは祈るときは、あなたの部屋の中に入り、入り口を閉め、隠された所であなたの父に祈りなさい[2]」。ですから、そのように祈る人は、いま私が申したように、内部にあるお香の祭壇に入ります。それに対し、いわば聞き手の人たちを教導するために、大きな声で言葉を発し、祈りを神に捧げる人は、「霊において祈ります」。彼は、民の全燔祭のために外に設けられた祭壇で、生け贄を捧げるように見えます[3]。ですから、祭司たちは、覆いの内側にある諸々の事柄を特に配慮し、護るべきです――汚れたもの、不浄なものが見出されないようにするために。それはつまり、内なる人と、心の諸々の秘め事を特に配慮し、護り、染みのないようにするということです。



[1] 1Co.14,15.

[2] Mt.6,6.

[3] Cf.Ex.20,24.

 

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