しかし、私たちがそれらのことを述べましたのは、(今日)私たちのために朗読された箇所のためです。こう言われていました。「主は、アロンに言われた。『あなたと、あなたの子らと、あなたの父の家の人たちは、あなたと共に、聖なる人たちの諸々の罪を負わなければならない』[1]」。この箇所は、次のように説明することができます。大祭司は、一人ひとりの罪のために奉げる諸々の奉げ物によって、人――大祭司は彼のために奉げ物を奉げます――を赦します。こう書かれている通りです。「あなたと、あなたの子らは、あなたと共に、聖なる人たちの諸々の罪を負わなければならない」。しかし、(この箇所が)「聖なる人たちの諸々の罪」に言及しているのは、無駄なことではないように私には思われます。実に()文書の多くの箇所で、その言葉が繰り返されているからです。そこで、どのようにして、ある人たちが聖なる人たちと言われると共に、その人たちの諸々の罪について書かれているのかが、探求されねばなりません[2]



[1] Nb.18,1.

[2] Cf.Com.Rm.5,10(PG14,1053A):「魂がどのような状態にあろうとも、それが徳において到達した完成の程度がどのようなものであろうとも――徳は移ろいやすく――、堕落が魂を諸々の悪徳から諸々の徳へ向かわせるように、魂を諸々の徳から諸々の悪徳へと向かわせる堕落が起こり得る」。

 

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