しかし、その次に彼は、道徳的な諸々の過失ばかりでなく、それあの中でも信仰に対する罪を強調しています。彼は言います:「どうしてあなた方の或る者たちは、死者たちの復活はあり得ないと言っているのですか[1]」。さらに、「しかし、もしもキリストが復活しなかったなら、あなた方の信仰は空しく、あなた方は今なおあなた方の諸々の罪の内にあります[2]」。(話が)かなり長くなりました。以上の諸々の事柄に関し、できるだけ多くの証言を集めることは――それらの証言によって、「聖なる者たち」と言われる人たちがそれだけで直ちに罪のない状態にあるとは理解されないことが証明されます――、目下の時に相応しくありません。そのようなこと[3]を思いなすのは、慎重かつ入念に神的な諸文書に向き合わない人たちでしょう。しかし、神的な諸文書の中で、聖なる者たちには多くの違いがあることが教えられています。それは、他の諸々の諸論文の中で私たちによって十分に論じられたとおりです。しかし、ここでは、(本文の)箇所が必要とする限りで、私たちは言うことにしましょう。



[1] 1Co.15,12.

[2] 1Co.15,17.

[3] もちろん、これは、聖なる人たちに罪は見出されないことをさす。

 

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