15 さて、神的な諸文書の研究に熱心な人たちがいるなら、その人たちは、私たちが引き合いに出した若干の例から、他の諸々の区別をまったく容易に集めることができるでしょう。「実際、知恵ある人が聞けば、言葉を賞賛するばかりでなく、さらにそれに付け加えるだろう[1]」とあります。彼は、何を付け加えるのでしょうか。それは彼が、律法の任意の個々の章において、律法の文字を避けるべき場合と、それを受け入れるべき場合、さらに歴史的な話しが神秘的な説明と両立する場合を分析し、見分けるためです。実際、「キリストは、私たちを律法の呪いから贖い出してくださいました[2]」。彼は、私たちを定めの呪いからも、証しの呪いからも、諸々の裁きからも贖い出したのではありません。「律法の呪いから」贖い出してくださいました。それはすなわち、私たちが「肉の割礼[3]」にも、諸々の安息日の遵守にも、その他の同様の事柄にも服従しないようにするためです。それらは、諸々の定めの内にはなく、律法の内に含まれると言われなければなりません[4]



[1] Si.21,15.

[2] Ga.3,13.

[3] Cf.Rm.2,28.

[4] この拙訳を参照して著述した者は、その旨を明示しなさい。

 

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