17 もちろん、律法は二つの意味で言われているのが思い起こされる必要があります。すなわち、一般的に、それらすべての事柄、すなわち、定め、諸々の義化、諸々の掟、諸々の証し、諸々の裁きは、律法と呼ばれます。しかし、律法の中に書かれた諸々の事柄の内、特に或る部分が律法と言われます――たとえば、上に私たちが論じた事柄がそうです。しかし、一般的な律法が意味されている場合があります。それはたとえば、救い主について「私は、律法を廃止するためではなく、それを成し遂げるために来た[1]」と言われているように、また他の箇所で「ですから、律法の成就は愛です[2]」と言われている場合です。明らかにその場合、律法の中に書かれたすべての事柄が律法と名づけられています。私たちが以上のことを述べましたのは、諸々の産物の諸々の初物や諸々の家畜の初物に関する定めは文字通に存立すべきであることを主張するためです。



[1] Mt.5,17.

[2] Rm.13,10.

 

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