19 まず何よりも、主キリストご自身について、彼は「死者たちの初物です[1]」と書かれているのを私たちは読みます。したがって、主ご自身もある点で初物です。さらに私たちは、或る人たちについて使徒によって次のように言われているのを見出しています。すなわち:彼らは、「アジアの初物[2]」である。また、他の人たちは「アカイアの初物[3]」であると。ここから、個々の教会で、使徒の霊によって認証された信者の一部の人たちが初物と呼ばれていることが分かります。カイサリアの教会の人で――彼と共に聖霊を受けるに値するとされた人と共に――「初物」と呼ばれるに値したコルネリウスも[4]、その信者の一部の人たち属していると、私は思います。しかしコルネリウスは、この教会の「初物」であるばかりか[5]、おそらくすべての異邦人たちの「初物」と呼ばれるべきでしょう。なぜなら彼は、最初に「異邦人たちの中から信じた[6]」からであり、最初に「聖霊に満たされた[7]」からです。それゆえ彼は、異邦人たちの初物であると呼ばれるのは正当でしょう。



[1] Cf.Col.1,18; 1Co.15,20.

[2] Rm.16,5.

[3] 1Co.16,15.

[4] Cf.Ac.10,1s.

[5] non solum huius Ecclesiae (id est Caesariensis Ecclesiae), …:ルフィヌスが原文を忠実に訳しているとすれば、この句は、この講話がカイサレイアで行われていた証拠になろう(盗用厳禁)

[6] Cf.Ac.21,25.

[7] Cf.Lc.1,67.

 

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