20 しかしあなたは、おそらく尋ねるでしょう:誰がそれらの初物を神に捧げるのか、あるいは、それらの初物を受領する大祭司は誰なのかと。私は次のように考えています。主の言葉によれば、この「世界は畑である[1]」と言われています。しかし、畑は、大地だけにあるのではありません。人間の諸々の心も畑であると理解されます。その畑を、神のみ使いたちが耕すために受け取ったのです。彼らが、その耕作の諸々の実りを所持し、所有します。その諸々の実りとは、「後見人たちや管理人たちの下に振る舞い[2]」、まだ、完成の頂に到達していない人たちです。しかし、心が熱心に耕され、その心が完成に導かれた人たちを、み使いたちは、他のものから選ばれた特別の初物として偉大な大祭司に捧げます。もちろん私たちは、他ならぬコルネリウスが、神のみ言葉の教えや洗礼の恵みをペトロから受ける前に、み使いから次のことを聞いたのを見出します。こうあります:彼の「諸々の祈りと諸々の施しは、神の許に昇った[3]」と。ここから、他ならぬみ使いを通して、コルネリウスは初物として神に捧げられたように見えます。



[1] Mt.13,38.

[2] Ga.4,2.

[3] Ac.10,4.

 

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