29 おそらく私たちは、長々と脇道に逸れて暇取っていたかのように思われるかもしれません。しかし、諸々の初物について説明するために、以上の事柄を議論する必要がありました。なぜなら、その名称は、諸々の神的な文書の中で、キリストご自身が「初物」と呼ばれ、「眠りについた人たちの初物」と呼ばれるほど高い栄誉を持っているからです[1]。またキリストは、「王たちの王[2]」、「諸々の主の主[3]」、「牧者たちの牧者[4]」、「大祭司たちの大祭司[5]」であるのと同じように、キリストは諸々の初物の中の初物と言われてしかるべきでしょう。その初物は、もはや大祭司に捧げられたのではなく、神に捧げられました。なぜなら彼が「自分自身を生け贄として神に捧げ[6]」、使者たちの中から復活し、「神の右側に座った[7]」とあるからです。他方、彼は、「初物」しかも「全被造物の初子[8]」であると言われています。これは、人々の間で「眠りについた人たちの初物」と言われ理解されるのと同じような意味で、個々の被造物に関するものとして理解されるべきでしょうか。それともそれは、何らかのより崇高でより神的な意味で理解されるべきでしょうか。しかし、今は、それを探求する時ではありません[9]。
[1]
Cf.1Co.15,23.
[2]
1Tm.6,15.
[3]
1Tm.6,15.
[4]
1P.5,4.
[5]
Cf.He.4,15.
[6]
Ep.5,2.
[7]
Col.3,1.
[8]
Col.1,15.
[9]
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