35 次に、「イスラエルの子らによって私のために聖化されたすべての物の中から[1]」という言葉が続きます。これも、機密[2]なしに言われたものではありません。神は、イスラエルの聖化された物の中からしか諸々の初物を受け取ることを望みません。もちろん、異教の人たちの間にも、神に相応しい何らかの諸々の業が見出されることもあり得ます。実際、彼らの間でも或る人たちは、魂の諸々の徳を修め、哲学が少なからぬ人たちの間で幾らかの働きをしたでしょう。しかし(神は)、それら(の業)が諸々の初物として捧げられることを望みません。神は、その精神が神を見、信仰によって神のために聖化された人たちから諸々の善行を受け取ることを望んでいます。ところが異教の人たちは、たとえ何らかの誠実さと立派さを諸々の品行の内に持っているように見えるとしても、魂の徳を神に帰さず、自分の思い上がりに帰すということそれ自体によって、その種の立派さは聖化されず、諸々の初穂の中に受け入れられません。ところで、律法の文字の規定に従う限り、(神は)改宗者たちをその種の貢物から除外しており、ただイスラエルの子らの内で聖化された人たちだけが諸々の初物を捧げることを望んでいるように見えます。



[1] Nb.18,8.

[2] 「機密」の言語はsacramentum。訳者(朱門)はそれを常々、「神秘」と訳してきたかが、文字通り「重大な事項に関する(最高)秘密」(要するに隠された意味)という意味で「機密」と訳すことにする。

 

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