ですからそれらの事柄がそのようにであり、互いに諸々の違いによって異なっていることが、律法それ自体の諸々の証言によって証明さていますから、私たちは、律法に関して朗読された諸々の事柄をより綿密な注意を向けねばなりません。実際、たとえば、これは定めであるとどこかに書かれていても、直ちにその定めは律法であると理解されるべきではありません。あるいは、それらは諸々の義化であるとどこかに書かれていても、直ちにその諸々の義化は律法や定めであると考えられるべきではありません。同様に、戒めや諸々の裁きがどこかに書かれていても、一方を他方と混同して理解されるべきでなく、いずれも他方と異なると理解されねばなりません。

 

次へ