40 しかしあなたは、私が諸々の聖文書からもこの種の違いを明らかにするのをお望みですか。パウロがどのようにヘブライ人たちに書いているかお聞きください。彼は、「聖化する方も、聖化される人たちも、皆、唯一の方に由来する[1]」と言っています。では、誰が聖化する方ですか。疑いもなくキリストです。誰が聖化される人たちですか。キリストを信じている人たちです。聖化する方は聖なるものであるのは明らかです。なぜなら彼は常に聖なるものだからです。それに対し、聖化される人たちは、端的に聖なるものたちではなく、聖化されて聖なるものたちであると言われなければなりません。

 あなたは、このような理解に、キリストについて次のように書かれている事柄が対立すると考えないでください。私たちは、彼について次のように書かれているのを読みます:「父は、ご自分が聖化したものをこの世に遣わした[2]」。ここで聖化された方は、肉に即したキリストであって、霊に即したキリストではありません。実際、キリストは、霊に即してと同時に、肉に即しても言っています:「私は、彼らのために私自身を聖化します[3]」と。それは、聖化する方が霊に即して理解され、弟子たちのために聖化される方は、肉に即して理解されるためです。一人の同じキリストが、ある時は霊において聖化し、ある時は肉において聖化されます。



[1] He.2,11.

[2] Jn.10,36.

[3] Jn.17,19.

 

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