41 したがって、すべての実りの中から、「聖化された聖なる」諸々の初物が捧げられるべきです。しかしそれは、霊的な大祭司に対してでなければなりません。では私たちは、どのような諸々の実りから、諸々の霊的な初物を捧げるべきでしょうか。あなたは、使徒がどれだけの実りを数えているかお聞きください:「霊の諸々の実りは、愛、喜び、平和、忍耐[1]」その他であると彼は言っています。いったい私は、霊の第一の実りである愛の実りから、どのような諸々の初物を真の大祭司に捧げるべきでしょうか。その愛の諸々の初物とは、私が「私の神である主を、私の心を尽くし、私の精神を尽くし、私の思いを尽くして愛する[2]」ことであると、私は思います。それが初物です。しかし、その愛の実りから、私が第二に持つべきものは何でしょうか。それは、私が「私の隣人を私自身のように愛する[3]」ことです。前者の愛の初物は、大祭司を通して神に捧げられます。それに対し、第二の位置にある初物は私の使用のために残されています。されに私は、この実りから第三に持たれるべきものがくると思っています。それは、私が「私の敵たちを愛する[4]」ことです。



[1] Ga.5,22.

[2] Cf.Mt.22,37.

[3] Cf.Mt.19,19.

[4] Cf.Mt.5,44.

 

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