17 「バモトからモアブの野の内にある森――これは、荒れ野を見下ろす切り立った山の頂のふもとにある――に[1]」と(聖文書は)言っています。もしも私たちがこの旅路を歩むなら――この旅路は、諸々の場所の諸々の呼称の内にばかりでなく、魂の諸々の進歩の内にも成り立っていることを、解釈の原理が主張しています――、私たちは、それらのすべての(場所の)後で「森」へ、あるいは他の諸々の写本の内にあるように「イヤナ[2]」――これは、「上昇」や「山の頂」と解釈されます――に到着します。ですから、それらを通して、あの例の極めてよく知られた神的な楽園の森と太古の住まいの数々の甘美な喜びに行き着きます。あるいは、少なくとも完徳の頂と至福の頂点に行き着きます。こうしたあなたご自身も、「(神は)彼とともに私たちを復活させ、キリストに結ばれて、諸々の天の内に座らせて下さいました[3]」と言うことができるでしょう。あなたは、どのような諸々の宿営地を通して、いやむしろどのような諸々の進歩を通して、天に至る魂の旅路が準備されているかお分かりですか。もしもあなたがそれらの事柄を入念に見つめるなら、あなたは、日々のあなたの諸々の進歩をあなたご自身の内で吟味して、あなたがどのような諸々の場所の内にいるか、また、諸々の天の国にどれほど近づいたかに注意するでしょう――主がそのみ国について、「あなたは、神の国から遠くない[4]」と言っていたように。



[1] Nb.21,20.

[2] 原語Iana(詳細不明)。

[3] Ep.2,6.

[4] Mc.12,34.

 

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