20 しかし、(悪魔が)世の支配者と言われても、彼が世界を創造したからではありません。それはむしろ、この世界の中に罪人がたくさんいるからです。彼は罪の支配者です。それで彼は、世界の支配者とも呼ばれます――すなわち、いまだに世界を捨てず父に回心しない人たちの間で。その意味で彼は、「一切の世界は邪悪な者の内に置かれた[1]」とも言われます。実際、もしも私たちが数々の事柄と数々の業とによって、悪魔が私たちの内で支配権を握っていることを暴露しているとすれば、キリストが私たちの支配者であると言うことは、私たちに何の利益をもたらすでしょうか。それとも、淫ら人や近親相姦者や不正な人がどのような支配者の下に振る舞っているか明らかではないのですか。いったいそのような人間は、たとえキリストの名の下に登記されていると見られても、「私はキリストの下に置かれ、それらのことを行っている」と言うことができるでしょうか。キリストが支配権を握っているところでは、いかなる不浄も許されません。いかなる不正も許されません。不正な貪欲が何らかの場を持つこともできません。そのような意味で、キリストは正しくも、諸々の徳の支配者と言われ、悪魔は悪徳と不正全体の支配者であると言われるでしょう。



[1] 1Jn.5,19.

 

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