23 では、私たちはどのようにして、アモリ人たちの諸々の国境を平和の内に過ぎ越しましょうか。アモリ人たちは、この世にいる不信仰者たちの一部として受け取ることができます。しかし彼らは、既に私たちが申したとおり、「苦味に導く人たち」や「語る人たち」と解釈されます[1]。いったいどのようにして不信仰な人たちや疑い深い人たちが神を苦味に導くのかを説明する必要はありません。しかし、「語る人たち」と言っていることに関しては、彼らがその(不信仰者たちの)一部に帰属させることができるのは、不信仰者たちや悪魔の支配の下に行動する人は皆、語ることしか知らず、しかも数々の虚しい事柄を語ります。たとえば、彼らの中にいる詩人たちや占星術師たち、また、哲学者たちの幾人か、彼らは数々の虚しい空虚な事柄を語ります。しかし、信仰者たちの「国は、神に属し、言葉の内ではなく、力の内にあります[2]」。

 ですから私たちは、平和の内に世界を過ぎ越したいと願います。しかしそのことは、「世の支配者[3]」をいっそう苛立てます。なぜなら私たちは、彼とともに留まったり暇取りたくないと言い、彼の何らかの事柄に触れたくないと言うからです。それで、彼は気に障り、苛立ち、私たちに対して数々の迫害を扇動し、数々の危害を生じさせ、数々の責め苦で脅します。それゆえ(聖文書)は、「シホンは、自分のすべての民を集め、荒れ野でイスラエルと対戦するために出て行った[4]」と言っています。シホンが、イスラエルに対して立ち上がらせた彼のすべての民とは誰でしょうか。世の支配者たちと裁判官たち、また、邪悪の奉仕者たちは皆ことごとく、神の民を常に攻撃し、迫害しています。



[1] Cf.Hom.Nb.XII,19(拙訳).

[2] Cf.1Co.,4,20.

[3] Cf.Jn.14,30.

[4] Nb.21,23.

 

次へ